ここでは、いささか旧聞に属する事柄についての、亭主の思いつきのなどを掲載しています。

 

作成日

主題

備考

 8 平成17(2005)年 7月13日 水曜日  仏事(日蓮宗)での感想  
 7 平成16(2004)年12月13日 月曜日  “ヒラメ”の感慨  
 6 平成16(2004)年11月29日 月曜日 晴

携帯電話普及の事象

 
 5 平成15(2003)年11月10日 月曜日 曇後雨 選挙結果の感想  
 4 平成15(2003)年10月 3日 金曜日 曇 季節の変化 手帳の売り出し  
 3 平成15(2003)年 9月22日 月曜日
               曇(台風15号の影響)
総裁選の感想  
 2 平成15(2003)年 9月12日 木曜日 薄曇 防災意識  
 1 平成15(2003)年 9月 1日 月曜日 曇 区立施設の休館機関  
 8 平成17(2005)年7月13日 水曜日   
 東京の7月は、お盆の月でもあります。
菩提寺から施餓鬼会(せがきえ)を行なうとの連絡をいただき、先日(7/3)参列しました。この日は、午後1時から45分間の法話、そして2時から1時間の法要でした。
昨年も出席したのですが、母の新盆でもあったので緊張していましたし、初めてのことでしたので、「施餓鬼会はこんなものか」と思いながら過ごしました。しかし、今年は二度目ですのでやや余裕があり「法話・法要」を拝聴している最中、不遜ながら「これが何んだ」と思ってしまいました。以下は、その「何んだ」についてです。

法話は、講師(杉並にある寺の副住職とのこと)のお話が上手でしたので、聴いていてその内容・趣旨(異論はありますが)を捉えることは出来ました。何故なら、現代日本語を使ってのお喋り(失礼)でしたからです。
ところが法要です。こちらには現代日本語が全くありません。唱えられる法華経は(宗旨は日蓮宗ですので)、中国語(?)ですから私にとって全く意味不明です。そして、お経の途中に挟まる文言は中世語、この場合は、意味の判る単語が所々にありますので、何となく先祖、その他諸々を供養しているのだと言うことが分かる、といった程度です。
鉦を鳴らし、木魚を叩き、銅鑼を響かせ大声を張り上げて、これが施餓鬼会の供養だということですから、「そうか、これが供養なんだ」と思って時の経過を待つだけでした。これで良いのかと思います。
「お経の解説書やら、施餓鬼会の説明書でも読んで勉強すれば、その言っていることや、やっていることは理解できるようになる」と言われれば、その通りで一言もありません。しかし、無精で怠け者の小生には、それらを勉強しようとするその勇気は中々涌いてこないのです。ですから、こんな機会に現代日本語での説明・講釈でもしていただければ、と考えたのです。
しかし、どうも小生が持ったこの考えは、間違いのようです。
現代の日本の宗教(仏教)は、生きている人間を相手にするのではなく、「死後の世界」を対象にし、扱うもののようです。
門徒と呼ばれる武装集団に酷い目にあった、家康はその後継政権に託し、仏教を骨抜きにして、「葬式仏教」と呼ばれるものに改変します。宗教を現に生きている現実社会の人々との関わり合いを断ち切ってしまったのです。
宗教と現実世界が切り離された結果、現実社会の人々は宗教を軽く見るといういうことになってしまいました。そして、この現実に僧侶の側も乗り、「葬式仏教」からの脱却を図ることなど、全く思いもつかないことのようになってしまいます。これが中国語と中世日本語の世界に、1時間も縛り付けて平気でいられる世界を構築しているのです。
世の中は、変化したと言いますが、我が菩提寺は、徳川幕府の残滓をいまだに引きずっているのです。それに日蓮は「『南無妙法蓮華経』が全てで、庶民はその他を考えることが要らない」とも言っています。「知らしむべからず、拠らしむべし」が生きているのです。ですから、法要の主催者は、有象無象に解説するなど「とんでもないこと」だと考えているに違いない、との思いに行き着きました。
とすれば、来年の施餓鬼会で奇妙な考えを起さないために、怠け心を改めて少し勉強するかです。しかし、どうなることやら。自信はありません。

施餓鬼会
餓鬼の世界におちて飢饉に苦しむ亡者に食物を供えて弔う法会。もともと時節を選ばずに行なわれたが、盂蘭盆会と共に行なわれることが多く、両者が混同されるようになった。真宗以外の各宗派で行なわれる。 『三省堂;大辞林』
平成16(2004)年12月13日 月曜日 
 昔日懐旧;「ヒラメ」
 
 「選択」という雑誌の2004年11月号に掲載された記事;
「プロ球界でも馬脚露した堤義明--最後のオーナー会議で醜態」を読んだら、昔の情景を思い出した。
 その情景と関連する部分を抜粋してみる。

 西武鉄道グループの「総帥」とも「帝王」ともいわれた堤義明(70歳)が前線から退場した。

 ‥‥‥、堤コンツェルンの瓦解と言えよう。そこにあるのは「自分の会社」という二世経営者の企業私物化意識と、トップにモノが言えない企業風土の病弊だ。

 ‥‥は、一度も上司に仕えたことがない。父はこう言ったという。「お前がわしの会社に入って誰かの下で働くと、いずれお前が上になった時、そいつを使いにくい。お前は入社したら、誰にも仕えず、ある部署の長を任せる」。また、こうも教えた。「ハラを割って相談できる先輩も親友も作るな。誰かに助けてもらおうとも思うな」。自ら決断、実践しろという意味だろうが、今回のつまずきの遠因は、この「帝王学」にある。

 今年の7月7日、実に26年振りにプロ野球オーナー会議に出席した。「自分は別格」と欠席を続けてきたが、今回は近鉄・オリックスの合併問題という重要案件が審議されることと、「いったい、彼は何様と思っているのか」との批判が各オーナーから出たためだ。
 この会議で、突然、爆弾発言。「今、近鉄・オリックスの合併が承認されたが、パ・リーグは来年5球団での公式戦は不可能。9月までに西武、ロッテ、日本ハム、ダイエーの間で、もう一組合併を実現させ、4球団とするので、1リーグでお願いしたい」。ドル箱の対巨人戦が減るセのオーナーから異論が噴出した。記者会見で「1リーグが出来なかったらどうするのか」と突っ込まれれると「そうなればパ・リーグを解散するしかない」とまで言い切り、「私はパの古顔だから、堤案した」と「パの盟主」を演じた。
 しかし、パの他球団にも根回しがなかったことも次第に判明する。スポーツ紙の報道では、巨人・渡邊、オリックス・宮内両オーナーと入念に打ち合わせた提案で、3人が「1リーグ制の策謀者」とのレッテルが貼られているが、どうも読み過ぎのようだ。
 「自分が発言すれば流れはつくれる」と読み誤った。しかも当初は、この提案は「西武と他球団の合併」かと思われたが、次第にロツテとダイエーの合併の、いわば「仲人宣言」であることがわかる。それでいて本人はほとんど仲介の労をとらず、他人任せ。両球団の合併話に「自分も一役」と後から相乗りしようと目論んだだけだった。根回しなしに「秘め事」が暴露されては合併話は、うまくいくはずもなく、結局は不成立に。
 9月8日、オーナー会議後の記者会見。「ロッテとダイエーの合併は、ダイエー本杜が消極的だった上に、UFJ銀行も自らの統合問題を抱え、ダイエーに影響力を行使できなかった」。7月に「ダメならパは解散」とまで大見得切ったことに頬被りしてUFJに責任転嫁した。 阪神の久万オーナーは「恥ずかしくて、もう、オーナー会議に出て来れんでしょう」と皮肉った。案の定、9月29日の同会議には欠席。

 「もともと、彼は内弁慶で、経済界に余り顔はなかったが、あれで経済人としての信用は失墜したね」。これは、西武鉄道の株問題が露呈する前の、ある経団連幹部による評だ。

 ‥‥は全国の自社施設を時折、予告なしに視察する。ホテルの支配人たちは、戦々恐々だ。不手際で左遷された例もあり、視察の情報に神経をとがらせ、車寄せ、ロビー、休憩する部屋などを、徹底チェツクする。時にはお客そっちのけで玄関に毛氈を敷いて、お出迎えすることも珍しくない。事情を知ったホテルの客から「お客とオーナーとどっちが大事なのか」とクレームがつくこともある。組織がトツプを向いている「ヒラメ」状態にある証左だ。

 「会社としての体質が古かった。自分がいると、風通しが悪かった」。と述べて退場した。

 一度も人に仕えたことがなく、誰に相談することもなく決断、命令する。組織はただ、黙々と実践するだけ。今回の不祥事は、父が教えた「帝王学」を自分の中で消化し切れなかったその人間性、それをそのまま企業の体質とした西武グループの風土に遠因があると思われる。(敬称略)

 この記事を読み終わって思った。「そうか。おれはヒラメの一匹だったのだ。今頃、気付いたって何の足しにもならないけれど」、である。
 そして、これを書いているなんて、正しく「田作(ジャコ)の歯軋り」である。
平成16(2004)年11月29日 月曜日 晴
 丁度一年ぶりの記載だ。何と言うこともなく、過ごしている。書くべき事柄は、あったのだが怠けていた。そこでしばらく振りに、昨夜の見聞を少々。

 近所のレストラン(と云って街の食堂に毛の生えた程度)で夕食を取っていた。すると隣の席に恋人風の二人ずれが案内されてきた。料理の注文が済んで、しばらくすると何やら静か。見ると差し向かいに座った二人は、それぞれの携帯電話を操作している。メールを書いている様子。それは注文した料理が来るまで続けられていた。
 食事中はお喋りはしていたが、終わると淡々として帰っていった。
 
 何なのか、不思議な感じがした。時間を共有して食事をすることは、ある意味の楽しさであるし、人間関係の構築(大袈裟な表現です)にとって大切だと思うが、この二人はなぜここに来て食事をしたのだろう。どうも解らない。
 
 携帯電話が広く普及して日本人の社会が変貌している、それも退化の方向へと、いってる学者がいるが、その一つの現象なのか。それとも特例か。
 これからの様子を見たみたい。
平成15(2003)年11月10日 月曜日 曇後雨
 約1ヶ月ぶりの記載だ。この間、何か特筆することがあったか。何もない。
 馬齢を重ねると言うが、何もしていないなんて、それ以前のことなのかも知れない。

 昨日、第43回の衆議院の選挙が行なわれた。結果は、自民党を中心とする連立与党が「絶対安定多数」を占め、引き続き国会運営の主導権を発揮できることとなった。
 
 改革を叫ぶ小泉さんを国民は支持したのである。しかし、国民の多くは、「改革する」と叫ぶ小泉さんの心底を見抜いていて、そんなことやっれこないし、やって欲しくもないと言っているのに違いない。今回の結果は、自民党の総裁選挙では総論で賛成、今度の選挙では各論反対といったところである。
 
 今回の選挙が、従来のものとやや違う部分は、民主党が提示した「マニフェスト」呼ばれるものを選挙前に提示したことである。この内容は、単なる自民党の政策に対する違いを示したもので、残念ながら理念・理想を示すものでなかった。また、この提案が本当に実行できるのと思われた部分もあった。つまり、信用されなかったのである。
 そこで民主党に望みたい。
 次回の選挙までに、この「マニフェスト」の精度を上げて欲しいと言うことである。

 国会論戦という名の野党の政権与党に対する揚げ足取りの言動。正しくくだらないと思われる野党の質問と、人をバカにしたような与党の回答、それを大真面目で聞いているマスコミ、本当に時間の無駄である。このことが国民が政治から離れる原因である。
 「マニフェスト」の精度を上げるとは、今回示した項目のそれぞれが民主党であれば、どの様に違うのかを提示して国会内で議論をし、理念・理想に近づけ、現実を改善するものに変えて欲しいということである。そして、それを次回の選挙に示して欲しいと言うことである。
 
 次回と言っても最大で4年だよ。直ぐだよ。ぼやぼやしていたら改訂なんて出来ないよ。

 バブルの破裂から十数年、若者が学校を出ても働く職場がないという社会を何時までも続けるのだ。農村の疲弊、世界に冠たる中小企業の崩壊、これで良いのかである。 
平成15(2003)年10月3日 金曜日 曇
 定期的に購読している雑誌を買おうと思い、近所の本屋に行った。
 すると、その店頭には来年の手帳が並べられていた。現在の生活になってから、季節の変化を感じるのは、草木の芽が出て葉が茂り、花が咲く、あるいは、実が成ると言うようなることがほとんどになってしまった。それ故、人工的なもので、季節感を感じるのは、久し振りである。
 立ち止まって見てみると、大きさ、厚さに様々なものがある。ニーズに対応する、と言うが、こんなに要望があるのかと思う程の多様さである。
 また、パソコン関連の書籍が並ぶコーナに行ってみると、「はがき作製ソフト」の改訂に対応する解説書が並んでいる。来月早々には、年賀はがきが売り出されるので、これに対応したものであろう。

 手帳や年賀状は人が作る季節の動きであるが、時は確実に動いているだと感ずる。 
平成15(2003)年9月22日 月曜日 曇(台風15号の影響)
 自民村の村長さんを選ぶのに、ごく少数の世間は大騒ぎした。が、結果は従来通りのことになった。
 改革を推進すると言っていた、小泉さんがあっさり再選されたのである。しかし、正直なところ、改革なんてちっとも考えない、あるいはちっとも望まない村民の皆さんは、改革をすると言っている小泉さんを選べば、この村から「村八分」にはされない、と思っただけに過ぎないのではないか、と言われる。

 冷静沈着な世間の人々は、閉塞された現在の状況を何とか変えなくては、と考えている。そして、そのことを何故か敏感に感じ、口にしていた小泉さんに期待していたのだが、これが全くの期待はずれ。本当に改革が出来るのだろうか。小泉さんが力めば力む程、改革が遠のいているだけではないかと感じられるこの頃である。
 
 今朝の瓦版では、村の世話役の一人に若い安倍さんを選び、何やら評判も良いようだ。しかし、安倍さんの話では、自民村の村民が一人でも多く選挙で選ばれるために「ガンバル」と言っているだけで、改革などという言葉は何処にもない。
 自民村の人達は、我々は国家、国民を考え行動する、とよく話すのを聞く。だが、上記の安倍さんの話からは、国家、国民のためなどという気概は感じられない。
 要するに自分のことだけなのだ。本来的にはこれだけで良い。自らの保身だけで良いのだ。如何にも尤もらしく軽々に国家、国民などと口に出すなと言いたい。

 今日の夕方には、村役場の役人さん達を決めるとのことであるが、どんな顔ぶれになるかであるが、選ばれた村役場の役人さん達は、就任の抱負を述べる時に、「改革を推進する」と言うに違いない(この様に言わなければ、村八分になってしまう)。しかし、そんなことは、「かけ声」だけで、「本気」でないことを見通している冷静な人達は又、辛い思いをするだけである。

 今晩は、辛く悲しい瓦版を見ることになりそうである。 
平成15(2003)年9月12日 木曜日 薄曇
 残暑で参っている。今年の夏は冷夏だったから、九月に入ってからの暑さに余計びっくりしていることもある。
 
 非常に強い台風14号が沖縄県久米島の北北西の海上を北上しいるとのこと(11日夜)。この台風が本州を直撃しないコースを辿っているのは、太平洋高気圧が日本を覆っているためで、この暑さにも文句は言えないか、などと思ったりする。

 9月1日は防災の日、関東大震災から80年目だった。

 「大地震が起きた時、最も危険な町」。墨田区京島三丁目は1998年、都の地域危険度測定調査で、この様に判定されたとか。古い木造の家屋が立て込んでいて、道路は狭く曲がりくねり、町工場も多い。建物の倒壊、火災の発生の危険度は高いのに消防車は入りにくい。といったことがその理由だ。
 しかし、「危険度No1」と判定された地元町会は、その年以来向島消防署と協力して、避難だけでなく火災の拡大防止や救出を重視した防災訓練を行っている。
 発煙筒をたいての「火災現場」や、建物の下敷きになった人がいるとする「救出現場」を町のあちこちに設定する。町内の住民は消化器や工具を探し出して、消火、救出体制の確認・点検を行い、普段からの目配りを行う。

 東京直下の地震発生が懸念されている。このことを意識していたい。
平成15(2003)年9月1日 月曜日 曇
日頃から利用している近所の区立図書館が、今日から来年の3月末まで休館となりました。

 私にとっては、その蔵書を利用することもありますが、ここの2階の自習室は広く、机の大きさも十分で本を読んだり、資料を調べて書き物をするのには最適でした。
 また、利用する人たちもマナーが良く、静かに勉学に、読書にと、(たまには睡眠を取るのが目的と言うような人もいますが)、各自が思い思いの時間を使っていて、気分良く過ごすことが出来る場所でした。

 休館のお知らせが壁に張り出されているのを見てみますと、
 本館も開館以来20年が経過し、設備が老朽化しています。そこで、この度、これらを改修するため、休館とします。
 改修する部分は、空調設備、照明器具、トイレなどです。

 とのことです。

 これを見て、感心しました。
 改修内容を見る限りでは、たったこれだけのことをやるのに7ヶ月も必要とするのです。 民間の施設では、7ヶ月も休んで改修することなんて、滅多にないのではと思います。そして、民間の場合には、そのことによって発生するであろう諸々を処理するのに多くの時間を割いて検討し、最短の時間(期間)で完了するよう努力するに違いありません。
 無論、ここでも検討したと思います。しかし、「いいや、業者がこれだけかかると言っているのだから」と納得したのではないでしょうか。不都合を感じるのは、区民で自分ではないのですから。

 それを紙切れ一枚の「お知らせ」で、これが簡単に出来るのですから。やはり、御上のやることです。「下々とは違うね」と言いって、名もなき庶民は、奥歯をぐっと噛みしめるだけです。

 どの様に改修されるのか、来年4月の再開は楽しみです。
玄 関 口