主題;コソボ独立とチベット支援理由について

 

1.まえがき:

 2008年北京オリンピックの聖火リレーは「オリンピア」で行われた採火式からトラブル続きである。中国政府のチベット弾圧に抗議するチベット人や支援者による聖火リレーへの妨害によって世界中にチベットの実情が知れ渡ったのだがチベット弾圧に対する西欧諸国の抗議には理由があるのだ。

2.セルビア:

 「セルビア」が歴史に登場するのは1180年である。セルビア人は当時東ローマ(ビザンチン)帝国の支配下にあったが、西欧諸国による十字軍がエルサレムを目指した時、東ローマ帝国領を通過しながら略奪したため東ローマ帝国は勢力を失った。その機に乗じてセルビアは独立したのである。
 1217年には現在のボスニア、モンテネグロ、アルバニアを含むアドリア海に面したセルビア大王国を建国したが、14世紀後半になるとトルコがバルカン半島に進出し1389年にはコソボの戦いでトルコに大敗北を喫しセルビア王国は消滅してしまう。セルビア人は内陸部へ後退させられた。イスラム教に改宗したアルバニア人が現コソボに移住していったのである。
 1817年オスマントルコ内で一定の自治が認められた候国となるが、クリミア戦争後のトルコ退潮に伴い1878年に再びセルビアが独立し1912~13年にかけてコソボ・マケドニアを自国領に組み入れた。
1918年「セルビア」を主体とし「スロベニア」、「クロアチア」、「ボスニア・ヘルツエゴビナ」、「モンテネグロ」、「マケドニア」の共和国で構成された「ユーゴスラビア」を建国し、第2次大戦後「チトー」率いるユーゴスラビアが非同盟という立場をつらぬき米・ソ両陣営の間を取り持ち国際政治上表舞台に立っていた。
 チトーの死後民族自立の下暫時それぞれの共和国が分離独立していった。「セルビア」国内にはハンガリー人が住む「ボイボジナ自治州」とアルバニア人が住む「コソボ自治州」が残った。

3.コソボ:

 コソボはセルビア発祥の地と言われ且つトルコに敗退した屈辱の地であるだけに、セルビアはコソボが独立することには我慢がならず、徹底的に弾圧したのは1990年以降のことである。
 220万人(全体の90%、残り10%はセルビア人)のアルバニア人が住み、言語、宗教がセルビアとは異なっているため、民族自決には西欧諸国が大いに理解を示しNATOが軍事介入してセルビアから切り離し、2008年2月にはEUの支持を受けてコソボが独立した。第一次世界大戦の原因となったセルビア人によるオーストリア・ハンガリー帝国皇太子夫妻暗殺事件は西欧諸国にとって現在でもセルビアへの共感がないと考えられる。

4.チベット:

 姜(羌)、氏(+下に-)はチベット系民族と言われている。周王朝初代武王(発)の軍師となった太公望(呂尚)は姜姓である。また武王発の15代前周の始祖后稷の母親の名は姜女(+原)とのこと。
 五胡十六国時代には四川に「成漢」を、陝西を中心に四川から河北までに「前秦」を建国したのは氏(+下に-)族であった。
 モンゴル人が中国に建てた「元王朝」はチベットをその版図に組み入れたが、明の時代には独立している。満州族の清時代にモンゴルと一緒にチベットが再び征服された。チベットが独立するのは清朝が崩壊した1912年のことである。この時モンゴルも独立した。
 1949年蒋介石国民党との内乱に勝利した毛沢東共産党政権は翌50年に軍隊をチベットに派遣して占領し、51年には新疆ウイグルと共に中国の行政区内に組み入れてしまった。
 1959年にチベットで大規模な反乱が起きたが中国軍に鎮圧され「ダライ・ラマ」がインドに亡命し現在に至っている。
 人種・言語・文字・宗教・文化が異なる他民族を支配するこは許されざることで、西欧諸国にとっては「コソボ」に繋がっているのだ。 

5.あとがき:

 今のところチベットの独立支持をあからさま言い立てる国はないが、これは国際的(自国と中国との二国間や第三国などとのからみによる)利害関係によるものと思われる。
 EU諸国でもコソボを承認しないギリシャは「キプロス」内トルコ支配地区の独立に火種が及ぶ懸念の他、セルビアに対する共感がある。
 ロシアは自国内に「チェチェン」、「モルドバ」がありスペインには「バスク」があってコソボの独立に反対している。
 ソ連邦崩壊後独立したグルジア(Eng. Georgia)国内の分離独立を主張する「アブハジア」や「南オセチア」にロシアは軍隊を派遣してこれらの独立を支持しているのだ。言語地図によると「アブハジア」や「南オセチア」はそれぞれグルジア語とは異なる。一方グルジアにはアメリカ軍が駐留し、親米・西欧路線を取っているだけに事は複雑だ。
 カナダはコソボの独立を承認したが、自国「ケベック」州が独立する理由とはならない旨の念を押している。ともあれチベットが共産中国の頸木から開放される日が来ることを切に望む。

6.図録:(歴史地図 Wwstermann)

1.セルビア:
  1180年 独立、1217年王国
2.セルビア:
  1389年 コソボの敗北
3.セルビア:
  1912~13年 コソボ、マケドニアを奪取
4.チベット:
  1912~50年独立、1950年占領される。
  1951年中華人民共和国に併合

7.参考資料:

 1.GROSSER ATLAS TUR WERTGESCHICHTE
   (世界歴史大地図)
 WESTERMANN
 2.「中国の歴史」がわかる50のポイント  PHP文庫 狩野直禎