主題;ヨーハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ
1.まえがき: |
大学ではあまり熱心ではなかったが合唱サークルに入っていた。自分にはリズム感や音感が無いことが直ぐ分かった。それでも歌詞は同じながらメロデイーが異なる「野ばら」という合唱曲を歌ったことがある。 |
2.野ばら: |
「Knabe」は童だが、現在日本語と同様にドイツでも日常語としては使われていない。 |
3.旅人の夜の詩: |
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旧東ドイツ・チューリンゲン州の首都エアーフルト(Erfurt)から南35Kmにイルメナウ(Ilmenau)という町がある。この町の近くのキッケルハーンという山へゲーテは何度も登っている。ゲーテは31歳の時この山小屋の壁に詩を書き付けた。 この詩は日本語を含めて10数カ国語に訳され壁に書き記されている。 |
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昭和25年の学制改革で大学となった旧制の高等学校ではドイツ語の習い始めに原語で詩を暗唱させられたとのこと。 |
4.生い立ち: |
ゲーテは1749年8月フランクフルトにて生まれ、1832年5月ワイマールで死んでいる(82歳)。当時としては長生きであった。ちなみにシラーは10歳・ベートーベンやナポレオンは20歳年下であった。 |
5.ワイマール公国: |
ワイマール市はドイツと言うよりヨーロッパを代表する文化都市である。 |
6.フランス革命: |
1789年7月にフランス革命勃発.。1792年フランス革命政府はフランス国内の危機的状況を国外に目をそらすため、オーストリア/プロイセンに宣戦布告した。直ちにオーストリア/プロイセンはフランスへ侵入したのである。この時ワイマール公爵はプロイセン軍騎兵連隊長として出征し、ゲーテも同道している。 |
7.Goethe Institut: |
外国人にドイツ語を教える寄宿舎付の学校がドイツ国内に数十ヶ所ありその学校がGoethe
Institutと呼ばれている。商社や大会社のドイツ駐在員はドイツ赴任直後ドイツ国内のどこかのGoethe Institutに入学させられることが多い。 |
5.あとがき: |
北海道で過ごしたこどもの頃、悪さをすると決まって隣の婆さんに「このわらはんど!」と叱られた。こどもながらも「このがきども」と理解していた。隣の婆さんは津軽出身であった。いまでも津軽では「童んど」が使われているのではないかと思っている。 |
参考資料:
ゲーテ | 星野 慎一 | 清水書院 |
ゲーテとの対話 | エッカーマン (山下 肇 訳) | 岩波文庫 |
天才たちの私生活 | ゲルハルト・プラウゼ (畔上 司/赤根 洋子 訳) |
文春文庫 |
エロイカの世紀 | 樺山 紘一 | 講談社現代新書 |