主題;Morzartについて:-
1.まえがき: |
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2006年はMorzart(モーツアルト)生誕250年とのことでヨーロッパはじめ世界各地で記念行事が行われるとのことである。 横浜の坂東橋にAmadeus(アマデウス)とうい喫茶店があり、たまにそこの自家製ケーキを買いに行っていた。店ではMorzartの曲がかかり、肖像画が飾ってあったのでモーツアルトの名前がアマデウスであると知った。 |
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2.Salzburg(ザルツブルグ): |
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モーツアルトは1765年1月27日神聖ローマ帝国大司教領ザルツブルグで生まれた。父はザルツブルグ大司教宮廷お抱え楽師であった。 ザルツブルグはミュンヘンの東南100Kmにあり、ドナウ川の支流イン川のそのまた支流ザルツアッハ川の中流に位置し、塩の産地からその名が付けられた。 1805年ナポレオンによってマインツを除く全ての教会領は没収され、帝国内の領邦国家に分配された時、ザルツブルグはオーストリア領となって現在に至っている。 モーツアルトは1891年12月5日ウイーンにて35歳で死んでいる。従ってナポレオンのことはもとより、93年マリー・アントアネットの処刑、また生まれ故郷がオーストリア領になったことは知る由もない。 |
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3.旅: |
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モーツアルトが5歳の時、いたずら書きしたと思われる書き物が実は見事なピアノ協奏曲であったことに父は驚愕したという。 6歳になったばかりのモーツアルトは、父に連れられミュンヘンへ行き、目隠しにてクラビーア(ピアノ)をひいて人々を驚嘆させた。同じ年にウイーンへ行き、時の女帝マリア・テレジアの前で神技を披露した。 この時10歳も年上の皇女マリア・アントニア(マリー・アントアネット)に求婚したとの逸話が生まれる。 モーツアルトは生涯、一家(父・母・姉)であるいは父と、結婚してからは妻(コンスタンツエ)とあるいは弟子と亡くなる年まで、イタリア・ドイツ・オーストリア・チェコ・スロバキア・フランス・ベルギー・オランダ・イギリスと旅公演を続けた。 当時8頭立て馬車は皇族、6頭立ては侯爵・伯爵、4頭立ては貴族と決められていたのだが、モーツアルト一行は4頭立て、時には6頭立て馬車を仕立てて移動していた。 特にイタリアには69年から72年にかけ3度、延べ740日に渡って滞在している。当時ハプスブルグ領であったミラノ大公国の宮廷お抱え楽師になろうとしたのだが、大公の母であるマリア・テレジアが「乞食のように世の中を渡り歩く人」を雇うなと忠告したため採用されなかった。 |
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4.サリエリ: |
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1783年モーツアルトが27歳のとき故郷のザルツブルグに戻ったのだが、大司教と決裂したためザルツブルグ宮廷音楽師とは成らず、ウイーンに腰をすえる。当時ウイーンの宮廷にはイタリア人アントニオ・サリエリが宮廷作曲家として雇われていた。 1786年モーツアルト30歳の時、皇帝ヨーゼフ2世が催した午餐会でサリエリ作曲「音楽が第一、言葉は次に」とモーツアルトは「フィガロの結婚」を作曲中であったのだが、ドイツ語オペラ「劇場支配人」との競演が行われた。「劇場支配人」は台詞が多くて皇帝の気に召さず、サリエリの勝利に終わった。 サリエリは1788年から1824年まで宮廷楽師長を勤めることとなった。 「魔笛」が作曲されたのは1791年で死後に人気が出て、ドイツ語オペラの先駆と見なされるようになった。 サリエリは「モーツアルトの才能に嫉妬し、又自分の地位が脅かされるのではとの思いからモーツアルトを毒殺した」との噂があり、未だに真相は謎となっている。 |
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5.金銭感覚: |
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モーツアルトが死んだ時多額の(1千万円に近い)借金があった。妻コンスタンツエは財産を放棄している。コンスタンツエの浪費癖によって借金が膨らんだとモーツアルトの伝記に書かれているとのこと。 しかしモーツアルトは、「トランプ賭博」や「賭けビリヤード」に血道を上げる賭博狂だったのである。モーツアルトは相当のビリヤード好きでしかも下手の横好きであった。モーツアルトの借金の手紙が沢山残っているのだがが、借金のお願いをした後、数日後その6倍もの借金を要求をしているとのことである。 モーツアルトが死んだ時、妻はまともな葬式が出せずモーツアルトは5人一緒の共同墓地に埋葬された。 |
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6.あとがき: |
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マリア・テレジアは女帝と称されているが、神聖ローマ皇帝になったわけではない。皇帝であった父カール6世に男子後継者がいなかった為、マリア・テレジアが後継者となった。 この相続に難癖をつけ介入したのがプロイセンのフリードリッヒ2世(大王)である。プロイセンは1742年に現ポーランド領シュレージエン(1945年までドイツ領)をオーストリアからもぎ取ったのである。 マリア・テレジはロートリンゲン公フランツ・シュテファンと結婚しフランツ・ッシュテファンが神聖ローマ皇帝に即位している。二人の間に出来た男子(ヨーゼフ2世)以降ハプスブルグ・ロートリンゲン家と呼ばれている。 イギリスも同様ハノーファー王家改称のウインザー王家はエリザベス2世の後を継ぐであろうチャールズ皇太子が即位するとチャールズの父エデインバラ公の姓マウントバッテン・ウインザー王家となるはずである。 小泉内閣は女系天皇を認める皇室典範の改正を今国会に提出しその成立を図っているが、いわゆる万世一系が崩れたとたん、天皇制は崩壊すると思われる。 ともあれ「クラシック音楽へのおさそい」 http://www.yung.jp/index.phpにて モーツアルト作曲『ホルン協奏曲4番』K495の軽快な曲を聞きながら、あとがきを終える。 |
参考図書
1 | 面白すぎる 歴史人物たちの旅 | 前田良一 | 扶桑社文庫 |
2 | 天才たちの私生活 | ゲルハルト・プラウゼ 畔上司/赤根洋子訳 |
文春文庫 |
3 | ドイツ(世界の歴史と文化) | 池内 紀監修 | 新潮社 |
4 | 物語ドイツの歴史 | 阿部謹也 | 中公新書 |