主題; 「二つの暗殺事件と後世への影響について」

1.まえがき

   7月7日朝、ロンドンの地下鉄・バスが同時テロによって爆破され50人以上の死者が出る大惨事となった。イスラム過激派(アルカイーダ?)によるものと見られている。また7/21にも同様の同時テロが行われた。直近の方の被害の詳細は明らかになっていない。
 これは不特定多数の人々を殺傷をし、イギリス国民に恐怖感を植え付けることを狙った卑劣な行為である。テロを行うことによってイギリスがスペイン同様イラクからの軍隊引き上げをすると目論んでいるのだ。テロを行う側の言い分はあるのだが、それを認めたり理解を示す訳にはいかない。
 テロは紀元前のシーザー暗殺を含め数限りなく行われてきたが、外国要人を暗殺した例はきわめて少なく、暗殺された側の恨みは深く残るものなのだが以下二つの事例で比較したい。

2.フェルデイナント大公暗殺:

   我が国に於いてはGavrilo Princip(ガヴリロ・プリンチプ)という名前はあまり知られていない。旧ユーゴスラビア崩壊前までは、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの川に架かる橋に付けられていた名前であったが、ユーゴ内戦によってボスニア・ヘルツェゴビが独立した後この名前は橋から消えた。 
 1914年オーストリア・ハンガリー帝国皇太子(フェルデイナント大公)夫妻がサラエボを訪問した際にセルビア人少年Gavrilo Princip(ガヴリロ・プリンチプ)によって銃撃され死亡した。ボスニア・ヘルツェゴビナはセルビアとともに15世紀半ばからオスマン・トルコの支配を受けていたが、オスマン・トルコの退潮に乗じ、1878年にオーストリアはボスニア・ヘルツェゴビナに侵攻し、1908年には一方的に併合を宣言したのである。
 ボスニア・ヘルツェゴビナにはクロアテイア人(カトリック教徒);ボスニア人(クロアテイア系回教徒);セルビア人(セルビア正教徒)が一定の地域に分布して暮らしていたのだが、セルビア民族主義者にそそのかされたとみられるGavrilo Principはオーストリアの支配に反発して、皇太子夫妻を待ち伏せ、銃撃テロを行ったのである。
 この事件をきっかけにオーストリアはセルビアに宣戦布告し、第一次大戦となる。ドイツはオーストリアと同盟していたことから参戦した。セルビア側にロシア、フランス、イギリスが後にアメリカ付きドオーストリア・ドイツ側の敗戦にて終結した。
Gavrilo Principは未成年であったため20年の禁固刑に処せられたが1918年に獄死。セルビアにとって彼は英雄となり、1918年にはセルビアが主体としたユーゴスラビアが建国された際、橋の名となった。
 1992年ユーゴ内戦が勃発、ボスニア・ヘルツェゴビナでは3民族が民族浄化を掲げ互いに殺しあったのだが、特にセルビア人はユーゴ連邦軍を握っていたため他民族に対する虐殺がすさまじく、国連やNATOの介入を受けた。従ってクロアテイア、ボスニア人はもとよりドイツ(オーストリア)人にとってはセルビア人は許されざる人々でありGavrilo Principは憎むべきテロリストなのである。

 トルコのEU加盟が取りざたされているが、セルビアがEUに加盟することは今後100年はないと思われる。

3.伊藤博文暗殺:

   1900年北京で起きた義和団の乱以降満州・朝鮮に進出したロシアに危機感を抱いた日本は1905年日本海海戦及び満州での戦いでロシアに勝ち、アメリカの仲介によって日露講和条約(ポーツマス条約)が結ばれた。これによって朝鮮における日本の優越権及び満州に於けるロシアの権益を引き継ぐことが認められた。
 国際的には日米、日仏、日英がそれぞれ覚書を交わしアメリカはフィリピンを、フランスはインドシナを、イギリスはインドを植民地とすることを認めたのである。
 明治42年(1909)ロシア高官との会談のため満州哈爾濱(Harupin/harubin)を訪れていた伊藤博文を駅頭にて待ち伏せしていた朝鮮人安重根(恨との標記もある)が銃撃して暗殺した。安は日本の朝鮮支配に反対して独立を狙う一派に属していた。
 安重根(偽名)はロシアの官憲によって捕らえられ日本側に引き渡された。
 翌1910年旅順刑務所にて処刑、この年日韓併合条約により日本は韓国を併合、アメリカ公館は直ちに閉鎖し公館員は帰国している。
 1936年ヒットラーとスターリンによる密約にて当事国抜きでチェコや、バルト三国が併合された事象とは全く異なる。しかもプーチンロシア大統領は今尚バルト三国併合の謝罪を拒否しているのだ。
 第二次大戦後、アメリカとソ連の後押しによって南北朝鮮にそれぞれ別国家が出来、朝鮮戦争にて固定化され現在に至っているのだが、南北分断を日本のせいと教え続けている韓国の歴史認識の無さにあきれる。
 北朝鮮での安重根の評価は解かっていないが、南側韓国ではいわゆる「独立記念館」に安重根コーナーがあり英雄的行為として伊藤博文暗殺の様子を展示しているのだ。
 驚いたことに最近韓国は、北朝鮮が核を放棄した場合の見返りとして200万KWの電力を供給すると提案したのだが、この電力供給事業を「安重根計画」と名付けていることである。韓国盧武鉉政権の悪意に満ちた反日命名に我が国マスコミはもとより政府・国会議員はなにも言わない。これはテロリストをあの国と一緒になって賞賛していることにほかならなず、安重根の正義とやらを認めたことになってしまうのではないか。
 我が国では伊藤博文が96年前安重根によって暗殺されたことなどはすっかり忘れてしまったということなのであろうか。

4.あとがき:
   ユーゴ崩壊前のことであるが、ドイツ駐在時ドイツ人と違った顔つきのタクシー運転手に乗り合わせた際、どこの出身か訊ねたことがあった。
(Q:Wo sind Sie aus ? /Where are you from ?  A:Ich bin aus Jugoslawien.) 
 ユーゴ出身と聞いてああそうなのと納得していたのだが、スロベニア人かクロアテイア人かボスニア人かの違いも認識していなかったのである。スロベニアは神聖ローマ帝国時代からKrain公国としてその支配下にありドイツ・オーストリアとは関係が深い。
 クロアテイア、ボスニア、セルビアではSerbo-Croat語、スロベニアではSlovene語が話され、セルビアはキリル文字、クロアテイア、ボスニアではローマ字である。Serbo-Croat語とSlovene語がどの程度違うかは興味があるが、後々の調べに任すことにしたい。

 在職中に中国遼寧省営口(Inkoh;遼河河口)にある提携先会社へは先輩・後輩の中で延べ数ヶ月から1年もの滞在者が多数いるのだが、筆者も1990年~93年にかけて数度行ったことがある。
 通訳に当時70歳を過ぎたと思われる朝鮮出身の「安」さんがいて、中国人経営者・労働者から「安老師」と尊敬の念をこめて呼ばれていた。
 「安」さんは、小学生の時(昭和5年頃か)修学旅行で東京に行ったとのことであった。当時日本国内でも田舎の小学生が修学旅行で東京へ行くなんて考えられないことである。「安」さんは安重根とは一切関係ないとのことであった。

引用文献:

歴史を変えた「暗殺」の真相 柘植 久慶 PHP文庫
国民の歴史 西尾 幹二 産経新聞社
Grosser Atlas zur Weltgeschichte   Westermann