主題;「ツゴイネルワイゼンから」:-

 

1.まえがき:

   明治41年生まれの父親が85歳の誕生日を目前にして、亡くなってから早12年が経つ。2月12日に13回忌が行われる。こどもを育てていた時は、こども6人が小学校から大学まで通っていたのだから生活は楽ではなかった。
 6人の子を育てあげ、男4人全てを大学にいかせたことが、後になって母親の自慢となった。

 昭和30年頃今から50年も前になるのだが、当時大学生であった長兄が、古い竹箒の柄を切って尺八を作った。初めはスースーいうばかりであったが、根気よく吹いていると音が出て来てそのうち曲に成って来た。

 父は突然「俺はヴァイオリンを弾けるのだ」と言い出した。こどもたちは大笑いしたのだが、しばらくすると父は古いヴァイオリンを買って来た。会社から帰ってきての毎日であったか、日曜日だけであったかは忘れてしまったがヴァイオリンを弾き出した。

 若い時にやっていたとのことで練習の結果、色々な曲が弾けるようになった。今でも「ドリゴのセレナーデ」という曲を弾いていたのを覚えている。ヴァイオリンを再開してから15年後、妹の結婚披露宴でヴァイオリンを弾いたのを思い出す。

2.ツゴイネルワイゼン (Zigeunerweisen):

   父が「ツゴイネルワイゼン」を弾いたとは思えないが、なぜか曲名と旋律を今でも覚えている。初めて聞いたのが何時だったかは忘れてしまったが、昭和30年代であったと思う。
 長兄が大学を卒業しレコードプレーヤーを買ってから、ヴァイオリン協奏曲や交響曲のレコードが少しづつ増えていった。その中にハイフェッツ演奏の「ツゴイネルワイゼン」があった。ヨーロッパ風な音楽とは少し違う旋律と技巧をこらした節まわしからは強烈な印象を受けた記憶がある。

 ツゴイネルワイゼンの意味が判ったのはそれから20年もたってからのことであった。ドイツ語でZigeuner(ツゴイナー)は「ジプシー」、Weisen(ヴァイゼン)は「旋律」のことである。
 スペインのパンプローナで生まれたサラサーテ(Pablo de Sarasate)がなぜドイツ語の曲名をつけた「ツゴイネルワイゼン」を作曲したのであろうか? サラサーテは音楽活動をフランスで行っていた。1878年に作曲された「ツゴイネルワイゼン」は、その年にドイツのライプツィッヒにて初演されている。

3.ヨーロッパでの出来事:

   夏になると北緯55度に近いハンブルグでは、午後10時半(夏時間)でも明るかった。移動式の遊園設備が設置され、サーカスが来て1週間ほどで別の所へ行ってしまう。これらはジプシーの人たちであった。

 ドイツ駐在時、社長と専務がフランス国営資本の会社を表敬訪問するとのことで、アテンドするためデユセル・ドルフからパリへ行った。翌朝次の訪問地へ移動する為、空港(シャルル・ド・ゴール)へ行ったが航空管制職員のストライキに遭い、飛行機は夕方になるとのことで、パリ市内に戻った。
 時間をつぶすためルーブル美術館へいったが、その日はあいにく休みであった。どうしたものか思案していた時、3mほど離れた社長のところにこども2人が近づき、目の前に新聞紙大のダン・ボールを差し出した。ダン・ボールにはなにか文字が書いてある。ダン・ボールへ目を落とした時間は10数秒であった。

 数分後にパスポート・財布・航空券が無い言われ、あたりを見渡したがこどもの姿は消えていた。ダン・ボールの下から胸ポケットに手を入れ抜き取ったのである。
 警察で盗難証明書を発行して貰い、パスポート再発行手続きのため日本大使館領事部へ行ったところ室内の壁に盗難被害に遇わないようにとの注意書きが貼ってあった。スリはジプシーのこどものだったのだ。

 専務は社長を残してアメリカへ行ってしまった。パスポートが発行されるまでの一週間、社長とパリ日航ホテルに滞在した。社長は明治43年生まれで父親と同世代であった。軍隊では中国にいた時のソーセージ作りや、軍用飛行機のセル-モーター作りでは苦労したことなど聞かされた。
 社長は気を使って、連日「寿司」、「天ぷら」、「すき焼き」、「しゃぶしゃぶ」、「どびん蒸し」をご馳走してくれたことが懐かしい。社長は米寿を過ぎるまで長生きしたが亡くなってからもう5年経つ。

4.ジプシー:

 

ジプシーの各国での呼び名  

England France Spain Deutsch 語源
Gypsy
ジプシー
Gitane
ジタン
Gitano
ヒターノ
  Egyptian
(エジプト人)
  Tsiganes
ツィガーヌ
  Zigeuner
ツゴイナー
Anthigganos(gr.)
 不可賎民

 ジプシーは9~11世紀(諸説あり)にインドから漂流したと言われている。ジプシーの風貌と、言葉が同じ民族がインドにいるとのことである。イラン・イラク・トルコと西へ進み14~15世紀にはギリシャ・旧ユーゴ・ルーマニア・ハンガリー・ドイツ・フランス・スペインに向い、16世紀初めにイギリスに上陸した。きついタバコのジタン(Gitanes)を吸っていた人が会社にいた。ジタンはジプシーからの銘々だったのか!

 彼らにはユダヤ人のような特定の宗教はない。音楽・ダンス・占い・大工・金物細工(鋳掛)・動物使いなどを生業とする集団で、定住していないため身の廻りのもの以外に財産がない。従って物に対する所有権の概念がなく必要とするなら畑から作物を取り、他人から金を奪っても罪の意識が無いということである。

 先月28日アウシュヴィッツ収容所解放60周年記念行事がポーランドにて各国の首脳が出席して行われた。100万~150万人のユダヤ人が同収容所で殺害されたと言われている。ジプシーも全ヨーロッパで大戦中50万人が殺されたとのことであるが、ユダヤ人の如く大きく取り上げられなっかったのはジプシー自身が被害を主張せず、集団としてのまとまりが弱かったことによる。

 日本でも人気のスペイン(アンダルーシア地方)の踊りと音楽フラメンコはジプシーのものであり、名器となったストラデヴァリウスの作者ストラデヴァリはヴァイオリン作りにジプシーからその製法を盗んだとのことである。


5.あとがき:
   ユーゴ解体の後、1990年セルビア共和国内コソボ自治州のアルバニア人が分離独立を求めセルビア人との間で民族紛争が起こった。コソボにいたジプシーが両民族からそれぞれ相手側に見方したとのことで数万人が虐殺されたとのことである。1999年NATO・米軍がセルビアに空爆を行い、停戦となっている。

 世界各国にいるジプシーの統計は下記URL参照
http://www.romani-studies.jp/reference_room/gypsy_population.html

参考図書

Les Tsiganes
ジプシーの謎
アンリエット・アセオ
訳 :遠藤 ゆかり
監修:芝 健介
創元者
「ジプシーの幌馬車を追った」
流浪の民のアウトドア・ライフ
伊藤 千尋 大村書店