主題;日露戦争100周年:-

 

1.前書き:

   

 今年2月、中曽根元総理を先頭に、自民・民主の国会議員十数名がが明治神宮を参拝する写真を週刊誌で見た。
 2004年は日露戦争開戦(明治37年)から100年目にあたるとのことであった。新聞・TVではこの参拝や100周年を報道しなかった様に思われるが、定かでない。
 この記事のなかで、当時のわが国の国家予算は2億円であり、対するロシアは10倍の20億円とのことであった。
 第二次大戦後、秀吉の朝鮮出兵を含め、明治以降の対外戦争は全て悪とする意見が多数を占めていた。日露戦争は満州を巡る戦いであったが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」に戦争に至った経緯や背景、またわが国の近代化への道のりなどが詳しく書かれている。


2.三国干渉:

   明治27(1894)年~28年にかけ朝鮮での権益を巡って日清戦争があり、この戦争に勝利した日本は台湾、遼東半島を手に入れた。
 しかしながらロシアはドイツ、フランスと語って、遼東半島放棄を日本に対し要求したのである。未だ弱小国であった日本はこれ従わざるを得なかった。

 これら三国は遼東半島を日本から清国に返還させておきながら、1898年にはロシアは旅順・大連;ドイツは膠州湾(山東半島・青島)、フランスは広州湾(雷州半島)を手に入れていた。

 

3.欧米列強のアジア侵略:

 下記は資料1による。侵略完結年を示す。
表1.
列強国 被植民地 列強国 被植民地
イギリス インド 1849 オランダ ジャワ 1813
セイロン 1815 スマトラ 1904
ビルマ 1886 フランス インドシナ 1886
マラヤ 1824 広州湾 1898
香港 1842 ドイツ 膠州湾 1898
威海衛 1898 アメリカ フィリピン 1898
ロシア 沿海州 1860 ハワイ 1900
新疆 1871
樺太 1875
旅順・大連 1898
満州 1900

4.列強の国力:

   資料2による。
表2.人口(百万人)
# 国名 1890 1900 1910 1913 1920 1928 1938
1 ロシア 116.8 135.6 159.2 175.1 126.6 150.4 180.6 1
2 アメリカ 62.6 75.9 91.9 97.3 105.7 119.1 138.3 2
3 ドイツ 49.2 56.0 64.5 66.9 42.8 55.4 68.5 4
4 オーストリア 42.6 46.7 50.8 52.1
5 日本 39.9 43.8 49.1 51.3 55.9 62.1 72.3 3
6 フランス 38.3 38.9 39.5 39.7 39.0 41.0 41.9 7
7 イギリス 37.4 41.1 44.9 45.6 44.4 45.7 47.6 5
8 イタリア 30.0 32.2 34.4 35.1 37.7 40.3 43.8 6

表3.鉄鋼生産高(百万トン、1890年のみ銑鉄)
  1890 1900 1910 1913 1920 1930 1938
アメリカ 9.30 10.30 26.50 31.80 42.30 41.30 28.80
イギリス 8.00 5.00 6.50 7.70 9.20 7.40 10.50
ドイツ 4.10 6.30 13.60 17.60 7.60 11.30 23.20
フランス 1.90 1.50 3.40 4.60 2.70 9.40 6.10
オーストリア 0.97 1.10 2.10 2.60
ロシア 0.95 2.20 3.50 4.80 0.16 5.70 18.00
日本 0.02 0.1? 0.16 0.25 0.84 2.30 7.00
イタリア 0.01 0.11 0.73 0.93 0.73 1.70 2.30

表4.陸・海軍の兵員数(千人)
1880 1890 1900 1910 1914
ロシア 791 677 1162 1285 1352
フランス 543 542 715 769 910
ドイツ 426 504 524 694 891
イギリス 367 420 624 571 532
オーストリア 246 346 385 425 444
イタリア 216 284 255 322 345
日本 71 84 234 271 306
アメリカ 34 39 96 127 164

表5.保有する軍艦(千トン)
1880 1890 1900 1910 1914
イギリス 650 679 1065 2174 2714
フランス 271 319 499 725 900
ロシア 200 180 383 401 679
アメリカ 169 240 333 824 985
イタリア 100 242 245 327 498
ドイツ 88 190 285 964 1305
オーストリア 60 66 87 210 372
日本 15 41 187 496 700

5.義和団事件:

   19世紀末、イギリスは表1以外に清国から、広東、九龍、スワトウ、アモイ、福州、温州、寧波杭州、上海、蘇州、南京、煙台、天津などを勢力下に置いた。
 外国勢力の進出は清国民衆の反発を招き、1900年には暴動に発展した。
 これに清国政府が便乗して列国に対し宣戦布告を行う。ドイツと日本の公使館員が惨殺され、各国が清国へ出兵した。イギリスはボーア戦争中で余力がなく、日本は最終的に3万人の兵員を派遣した。

 ロシアはこの事件を機に満州を占領し、内モンゴルまでも手に入れてしまったのである。

6.日英同盟:

   インドを植民地にしていたイギリスは、ロシアが南下し中央アジアでコーカサス(1801)からペルシャ、トルキスタンからパミール(1895)までを勢力下に置いたことに脅威を抱いた。さらに極東では満州を支配し華北でのイギリスの権益とぶつかるため、対ロシアで利害が一致する日本と同盟(1902)することはイギリスにとっても望ましいことであった。

7.日露開戦:

 1894年に暗殺されたロシア皇帝アレクサンドロ3世の後を継いだ、ニコライⅡ世はロシア皇太子として明治24年(1891)に来日している。これはシベリア鉄道起工式式典に皇帝の名代として出席するため艦隊を引き連れ、インド洋を経てウラジオストック入港の途中日本へ立ち寄った。

 日本滞在中に大津にて警備中の警察官に頭を切りつけられ怪我をした。いわゆる「大津事件」である。この顛末については吉村昭の「ニコライ遭難」が詳らかにしてくれる。

 日露戦争の責任はこのニコライ二世の日本嫌いと蔑視、日本の軍事力を含む国力を見誤ったことにある。遼東半島・満州を手に入れ、さらに朝鮮をロシアの勢力下に置いても日本は手出し出来ないと思っていた。

 1904年2月朝鮮仁川港、遼東半島旅順港のロシア艦船への攻撃により開戦となる。表5では開戦時の日本海軍の軍事力は見えないのだが、「坂の上の雲」では六-六艦隊が完成していたとのことである。〔一級(1万トンクラス)戦艦x6、二級(7千トンクラス)巡洋艦X6〕従って12~3万トンの連合艦隊1セットであった。兵員は役15万人か。

 対するロシアは「坂の上の雲」によると太平洋艦隊、バルチック艦隊の2セットとなっているが、黒海艦隊があったはずである。兵員数は100万人。 ポール・ケネデイによると「三国干渉」から10年復讐の時はやって来た。海軍の専門家は、東郷提督の艦隊がロシアの艦隊を対馬沖の日本海海戦で破ったことに感嘆したが、旅順奇襲(1894年日清戦争にはじまり1941年に再び使用された慣行)を西側は拍手をもってむかえた。日本の国家主義者がいかなる犠牲をかえりみず徹底的な勝利を求める情熱にも感心した。
 何万人の犠牲者を出しながら、地雷原を渡り、機関銃の弾丸を浴びつつ突撃しロシアの塹壕を制したのである。

モ ラルと規律が国力の充実に欠かせぬ必要条件だとすれば、日本にはこの資源が豊にあったのである。

8.あとがき:
   

 ちなみに現在の日本とロシアとの比較(2002年)を外務省H/Pから引用する。
資料3.

  ロシア 日本
人口 1億4.310万人 1億2.748万人
GDP 4.518億$ 4兆0034億$
一人当たりGDP 3.147$ 31.106$
国家予算 962億$
(1兆1千億円)
7.053億$
(82兆円/’04)


 1917年ロシア革命が起こる。ニコライ二世が退位しロマノフ王朝が滅ぶ。翌18年皇帝一家はシベリア で惨殺された。1933年ドイツで自分はニコライ二世の娘だという人物が表れた。
 また1991年皇帝一家 の骨だというものが出てきた。

 ニコライ二世が大津で襲われた時に手当てした血染めのハンカチが大津博物館に展示してある。1998年になってロシアが皇帝一家の骨のDNA鑑定に必要とのことで、ハンカチの一部を渡した。
 吉村昭氏はこの話しを紹介する中でハンカチの一部が欠けることを残念がっていた(月刊文芸春秋)。

   

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9.参考資料:

資料1. Grosser Atlas Zur Weltgeschichte Westermann
資料2. 大国の興亡 草思社
資料3. www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia 外務省
  坂の上の雲 司馬遼太郎
  国民の歴史 産経新聞社