主題;日露戦争100周年:-
1.前書き: |
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今年2月、中曽根元総理を先頭に、自民・民主の国会議員十数名がが明治神宮を参拝する写真を週刊誌で見た。
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2.三国干渉: |
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明治27(1894)年~28年にかけ朝鮮での権益を巡って日清戦争があり、この戦争に勝利した日本は台湾、遼東半島を手に入れた。 しかしながらロシアはドイツ、フランスと語って、遼東半島放棄を日本に対し要求したのである。未だ弱小国であった日本はこれ従わざるを得なかった。 これら三国は遼東半島を日本から清国に返還させておきながら、1898年にはロシアは旅順・大連;ドイツは膠州湾(山東半島・青島)、フランスは広州湾(雷州半島)を手に入れていた。 |
3.欧米列強のアジア侵略: |
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下記は資料1による。侵略完結年を示す。 表1.
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4.列強の国力: |
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資料2による。
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5.義和団事件: |
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19世紀末、イギリスは表1以外に清国から、広東、九龍、スワトウ、アモイ、福州、温州、寧波杭州、上海、蘇州、南京、煙台、天津などを勢力下に置いた。 外国勢力の進出は清国民衆の反発を招き、1900年には暴動に発展した。 これに清国政府が便乗して列国に対し宣戦布告を行う。ドイツと日本の公使館員が惨殺され、各国が清国へ出兵した。イギリスはボーア戦争中で余力がなく、日本は最終的に3万人の兵員を派遣した。 ロシアはこの事件を機に満州を占領し、内モンゴルまでも手に入れてしまったのである。 |
6.日英同盟: |
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インドを植民地にしていたイギリスは、ロシアが南下し中央アジアでコーカサス(1801)からペルシャ、トルキスタンからパミール(1895)までを勢力下に置いたことに脅威を抱いた。さらに極東では満州を支配し華北でのイギリスの権益とぶつかるため、対ロシアで利害が一致する日本と同盟(1902)することはイギリスにとっても望ましいことであった。 |
7.日露開戦: |
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1894年に暗殺されたロシア皇帝アレクサンドロ3世の後を継いだ、ニコライⅡ世はロシア皇太子として明治24年(1891)に来日している。これはシベリア鉄道起工式式典に皇帝の名代として出席するため艦隊を引き連れ、インド洋を経てウラジオストック入港の途中日本へ立ち寄った。 日本滞在中に大津にて警備中の警察官に頭を切りつけられ怪我をした。いわゆる「大津事件」である。この顛末については吉村昭の「ニコライ遭難」が詳らかにしてくれる。 日露戦争の責任はこのニコライ二世の日本嫌いと蔑視、日本の軍事力を含む国力を見誤ったことにある。遼東半島・満州を手に入れ、さらに朝鮮をロシアの勢力下に置いても日本は手出し出来ないと思っていた。 1904年2月朝鮮仁川港、遼東半島旅順港のロシア艦船への攻撃により開戦となる。表5では開戦時の日本海軍の軍事力は見えないのだが、「坂の上の雲」では六-六艦隊が完成していたとのことである。〔一級(1万トンクラス)戦艦x6、二級(7千トンクラス)巡洋艦X6〕従って12~3万トンの連合艦隊1セットであった。兵員は役15万人か。 対するロシアは「坂の上の雲」によると太平洋艦隊、バルチック艦隊の2セットとなっているが、黒海艦隊があったはずである。兵員数は100万人。 ポール・ケネデイによると「三国干渉」から10年復讐の時はやって来た。海軍の専門家は、東郷提督の艦隊がロシアの艦隊を対馬沖の日本海海戦で破ったことに感嘆したが、旅順奇襲(1894年日清戦争にはじまり1941年に再び使用された慣行)を西側は拍手をもってむかえた。日本の国家主義者がいかなる犠牲をかえりみず徹底的な勝利を求める情熱にも感心した。 何万人の犠牲者を出しながら、地雷原を渡り、機関銃の弾丸を浴びつつ突撃しロシアの塹壕を制したのである。 モ ラルと規律が国力の充実に欠かせぬ必要条件だとすれば、日本にはこの資源が豊にあったのである。 |
8.あとがき: | ||||||||||||||||
ちなみに現在の日本とロシアとの比較(2002年)を外務省H/Pから引用する。
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9.参考資料: |
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資料1. | Grosser Atlas Zur Weltgeschichte | Westermann |
資料2. | 大国の興亡 | 草思社 |
資料3. | www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia | 外務省 |
坂の上の雲 | 司馬遼太郎 | |
国民の歴史 | 産経新聞社 |