主題;「無量大数」について

 

 今年度の国家予算(一般会計予算)は、82兆1102億円です。経済成長のお陰か、あるいはインフレーションのためか、かっては天文学の世界で用いられていた「兆」と言う単位は、今では普通に使わるものになっています。

 80年代日本の民間企業で、年間の売上高が「兆」の単位になれば、その企業は優良であることの一つの証(あかし)でした。戦後創業のホンダとダイエーが初めて1兆円を超えたのは昭和55(1980)年でした。(ちなみにこの年の予算は、42兆5888億円)。
 そして、今年トヨタはその純利益が1兆円を超えたと話題になっています。

 「兆」などという数字は、凡下(ぼんげ)の者にとっては余り関係のないものですが、これより大きい数、あるいは一より小さい数の呼び方(命数法と言います)について調べてみました。

 凡下の者とは、一般庶民のこと。(官尊民卑という言葉があった時代、つまり、江戸期以来昭和のはじめあたりまでお役人は、こう言っていたと言うことです)。


1.大きい数

   日本での数の呼び方は、江戸時代の寛永4(1627)年、吉田光由が著した数学書「塵却記」の中に示されていて、「万」以上の数は4桁で位を進める法則を確定しました。以来、日本では四桁進法に統一されて整然としたものになっています。
数詞 呉音 漢音 数詞 呉音 漢音
1 イチ イツ 1016 キョウ ケイ
2 1020 カイ ガイ
3 サン サン 1024
4 1028 ニヨウ ジヨウ
5 1032 コウ
6 ロク リク 1036 ケン カン
7 シチ シツ 1040 ショウ セイ
8 ハチ ハツ 1044 サイ サイ
9 キュウ 1048 ゴク キョク
10 ジユウ シュウ 1052 恒河沙 ゴウガシャ コウカサ
102 ヒャク ハク 1056 阿僧砥 アソウギ アソウキ
103 セン セン 1060 那由他 ナユタ ダユウタ
104 マン バン 1064 不可思議 フカシギ フカシギ
108 オク ヨク 1068 無量大数 ロウダイス リョウタイスウ
1012 ジヨウ チョウ リョウ レイ
 見事なものです。日本語では、1から始まって1068まで数字については、何の問題もなく表現できることになっています。ですから、例えば今後の日本経済が高度成長しても数の表現に困るといったことはありません。我が祖先に感謝すべきことです。
 しかし、欧米では三桁進法です。経済がグローバル化され今日、欧米と取引のある世界では、この一桁違う進法に戸惑うことがあり、苦労されていることがあるのではないでしょうか。

 そして、「音」についてです。この表(現代数詞)から数の呼び方には、三つの部分から成っていることが分ります。太字が現在使われている発音です。呉、漢同音を除けば「九」のみが両方使われています。
 一から億までの発音は、呉音(三国六朝時代、中国南部の呉を中心として話された発音をべースとしたもの)ですが、兆から上、極までの発音は漢音(漢時代の黄河流域民族の標準発音によるもの)です。例外や呉漢同音もありますが、基本的な傾向は明確です。

 大陸との交流は、日本の正史がいう欽明天皇期からではなく、ずっと以前から始まっていて、漢字、そして漢数詞も早くから入っていたと考えられています。中国語の碩学藤堂明保氏によれば、日本における漢字の発音は、欽明天皇よりはるか昔、おそらく二~三世紀の、しかも大陸南部の発音で入ってきたのが主流である、とのことです。

 慣用的に使われる数字、おそらく「億」以下はこのようにして呉音で入り、定着したのでしよう。奈良時代末期の783年、政府は、呉音を習うべからず、漢音に習熟せよ、という通達を出しています。この行政指導に象徴されるように、以後、「兆」より上の大数、欽明以後に入ってきて普段は使わない数の呼称は、通達通り漢式で発音されることになったのでしょう。それは隋、唐時代の長安、洛陽中心の発音と同じものでした。

 大数の読み方については、「塵劫記」にふりがな付きで示されていますので、間違いなく古くから伝わっていて、上の表はこれに基づいたものです。しかしその呼称は、江戸期にできたわけではなく、奈良時代にはすでにあったと思います。証拠はないのですが、塵劫記の著者、吉田光由の創作でないことは間違いないと思われます。

 そして、表にはもう一つの面白いことがあります。1052からの数詞は、インドの影響を示しています。「恒河沙」とはガンジス河の砂粒の数くらい大きな数という意味で、「阿僧砥」や「那由他」もサンスクリット語が語源です。そして四つの漢字で示される1064以上にはまた呉音が多くなると言うことです。

 中国の大数は、古代の黄帝が定めたもの、との伝説があり、そこでの極限が「載」でその先は無限という意味で「極」までしかありませんでした。しかし、仏教の世界には、さらに巨大な数が取り扱われていました。これらは呉音が主流で六、七世紀頃までに口伝で入ってきたと思われます。仏教の教典とともに入ったこれらの巨大数は、その実用的価値はなっかたのでしょうが、偉大なもの、あるいは無限への憧れを示すにはふさわしい言葉であったのでしょう。それらの定着は官主導ではなく、口伝のお経の言葉として大衆に浸み込んだものと思われます。しかし、いつ、誰が恒河沙以上を具体的な数表現に持ち込んだのかは不明です。
 

 余談です。
 表の最後にある「零」は漢音ですが、これがいつ、どんな形で日本の数詞となつたか、については分っていません。インドでゼロが発見された以後に違いありませんが、その解明が待たれるところです。

 ご存知のように、「1~9」と「0」の計10個の記号だけであらゆる数を表現できることを見出したのは、数の表現にすぐれた感覚を持つていたインド人でした。そして、このことは、その後の人類にとって計り知れない貢献をしています。
 現在、われわれが日常用いるアラビア数字に当ります。インド数字といわずにアラビア数字というのは、これをヨーロッパへ仲介したのがアラブ人だつたからでした。しかし、発明発見の先着制から言って、これを「インド数字」と言うのが正当だと思います。

 インド数学は、天文書の形で八世紀にペルシャに伝わり、九世紀のペルシャ人がアラビア語に訳しました。それがラテン語に訳されて西欧に伝わったのが十二、三世紀のことです。しかし、インド数字とそれを用いた数学の便利さが西欧に理解されるためにはさらに長い時間がかかっています。

 三世紀にディオパントスが代数学の概念に到達するという偉業がありながら、数記号がなかったため、代数学が発展するわけもなく、それから約千年もおくれて代数学は、アルゼブラというアラビア語でインド数字とともに西欧に逆輸入され、今日に至っています。


2.小さい数

 

 

 「一」より小さい数の表現は、下表の通りです。
数詞 呉音 漢音 数詞 呉音 漢音
10-1 フン(ブ) フン 10-12 マク バク
10-2 リ(リン) 10-13 模糊 モゴ ホコ
10-3 モウ ポウ 10-14 逡巡 シュンジュン シュンシュン
10-4 10-15 須臾 スユ シュユ
10-5 コチ コツ 10-16 瞬息 シュンソク シュンショク
10-6 10-17 弾指 ダンシ タンシ
10-7 セン セン 10-18 刹那 セチナ サツダ
10-8 シャ 10-19 六徳 ロクトク リクトク
10-9 ジン チン 10-20 虚空 コクウ キョコウ
10-10 アイ アイ 10-21 清浄 ショウジョウ セイジョウ
10-11 ミョウ ビヨウ        
(注) 分(ぶ)、厘(りん)は慣用表現です。 
 
   「一」以下の数を見ると、大数とは大分おもむきを異にしています。気付くことは、小数側への関心が薄いように思われることです。大数の単漢字最大数は極で1048 、しかし小数は漠で10-12、複数漢字表現でも無量大数の1068に対し、清浄が10-21です。これは単に需要が少なかったから、でしょうか。
 大数が広い数域をカバーできるのは、万以上が四桁累進、つまり十万、百万、千万とって万万を初めて別の呼称、億を使うところにありますが、小数ではこれがなく、一桁ずつ小さくなっていることです。大数の累進制を少数に採用しなかった理由は分っていません。

 しかし、小さい数の表現には、古くからある分数表現があります。二分の一とか三分の一からの自然な延長線上にある、「○分の一」、の形をとる場合で、百万分の一、などといった表現です。これは大数を用いた分数表現ですが、大数表現は整然としてますので、この分数の形を使えば少数でも問題はない、と言うことになります。

 そして、小数での呉音、漢音の対比は、大数ほど鮮明ではありません。慣用の領域、毛と糸までが呉音系、その先が漢音系、そして模糊の先が複数漢字表現という図式は、大体同じですが、かなり乱れています。模糊の先も必ずしもインド系とはいえないようです。実用性が薄い小さい数の呼称は後年になって誰かが整えたのではないかと推察されます。

 ところで、表は現在標準的なものですが、「塵劫記」と同じではありません。その初版本では、分、厘の前に両、文が入り、終わりは塵、埃までです。
 一方、江戸後期の塵劫記には上表の通り、分、厘で始まり、渺、漠まで、となっていて、統制がとれていません。日本では、上で述べたように小さい数の単位に対する関心は薄く、むしろ実用的な長さ、面積(土地)、体積(石、斗、升、合など)で小さい数を処理したと言えるようです。

 また、表は今日ほとんど使われていないことはご存知の通りです。
 強いて使われている分野を探すと、この表とは一桁ずれて、野球の世界で「松井の打率は、三割二分五厘、新庄は二割八分」と言う程度です。
 考えてみると不思議です。上の「三割二分五厘」は、%に直すと32.5%です。ところが試合の形勢を「五分五分」、「七分三分」などと言います。この時は5%対5%、7%対3%と言った意味でなく、50%対50%、70%対30%とのこと表してます。とすれば、この時の「分」は、先の場合と一桁違っています。数字で表すと正確だと言いますが、この辺りは我々は『いい加減』と言えるようです。

3.国際単位系での十進量

   日本は現在、国際単位系のメートル法を採用しています。
 そこで用いられる十進量は、次の通りで接頭語で基本単位との関係を表しています。
10 デカ deca- da 10-1 デシ deci- d 10-1
102 ヘクト hecto- h 10-2 センチ centi- c 10-2
103 キロ kilo- k 10-3 ミリ mili- m 10-3
106 メガ mega- M 10-6 マイクロ micro- μ 10-6
109 ギガ giga- G 10-9 ナノ nano- n 10-9
1012 テラ tera- T 10-12 ピコ pico- p 10-12
1015 ペタ peta- P 10-15 フェムト femto- f 10-15
1018 エクサ exa- E 10-18 アト atto- a 10-18
 大きい数字では、キロ(103)以上エクサ(1018)まで、小さい方はミリ(10-3)以下アト(10-18)まで、それぞれが3桁累進で表示されます。少数側の整然としているところは、日本のものより優れているように思います。それ故、我々の日常の会話の中に「ミリ、マイクロ、ナノ」が入り込んできているのでしょう。

4.無量大数

   「塵却記」は数学の教科書でもあったのですが、その中に次のような問題があります。
 「日に日に一倍(今日の二倍)の事」という問題の中に『ケシ粒を日に日に倍にして120日ではいくらになるか』と言うものです。鞘師・曾呂利新左衛門がお米を使った同様の問題で、豊臣秀吉を驚かしたお話はよく知られていますが、それに類した問題です。

 その答えは、次の様になります。
 六千六百四十六溝千三百九十九穣七千八百九十二杼四千五百七十九垓三千六百四十五京千九百三兆五千三百一億四千十七万二千二百八十八粒。

 インド数字(アラビア数字)で表せば、
 664,613,997,892,457,936,451,903,530,140,172,288 粒。

 コンピュータのない時代、こんなを思い付き、計算を良くやったものです。先人の計算力(それも漢(数)字を使ってです)と、集中力、そして根気に敬意を表します。

 しかし、現在では一般家庭にコンピュータは持てる時代です。そこで私作のPCを使って計算(恐れ多くも検算)してみました。幸いにも上記の値と一致するものが得られました。

 そして、今回の表題である「無量大数」の桁になるまでには、あと何日なのだろうかと計算を続けてみました。
 結果は、あと120日となります。その時のケシ粒数は、次の通りです。

 八千八百三十四無量大数二千三百五十三不可思議二千三百八十九那由他千九百二十一阿僧砥六千四百七十九恒河沙千六百四十八極七千五百零三載六千三百四十五正九千二百五十七澗九千百三十七溝四千百九十四穣八千四百三十七杼八千零九十四核七千九百零六京八百三十兆千零零六億四千六百三十万九千八百八十八粒。

 先の例と同じに、インド数字(アラビア数字)で表せば、
 883,423,532,389,192,164,791,648,750,363,459,257,913,741,948,
437,809,479,060,830,100,646,309,888=8834.23*1068粒。

 

 江戸時代にこの計算結果が得られれば、数学(当時は、算術ですね)の先生として尊敬されたのでしょうが、今ではPCを使って、素人でもできる時代です。工学技術の発展には、感心するばかりです。

 ですから、こんな計算やっても資源の無駄遣い、と言われそうです。

今回は、この辺りで失礼を。

参考図書

「数」の日本史 伊達 宗行 日本経済新聞社
日常の数学事典 上野 富美夫 東京堂出版