主題;「古代数詞」について
今回は、古代数詞についてです。 |
1.古代数詞の起源 |
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文献に残る最初の日本数詞研究者は、江戸中期の儒学者・荻生徂徠(おぎゆうそらい)です。荻生はひふみ式数詞の一部に倍数則があると言っています。それは三と六、四と八のそれぞれが共通の子音で始まるのに注目します。前者は「m」、後者は「y」です。五の「いつつ」は「t」が語幹の初まりで、十(とお)の「t」と対応する、というものです。このアイディアは、明治期の東洋史学者白鳥庫吉氏にまで引き継がれています。 江戸期の国学者本居宣長は、八(や)は弥(いや)の縮まったもので、数の多いことを表し、八重(やえ)、八百(やそ)など数の多いことを表す語となっているといいます。八が最大数であった時期は確かにあったことを推察させます。そして又、日本古代では五(いほ)も多数を表したようです。五百はあまたの、という意味です。 いずれにしても「十」の上の古代数字は十進法で、百(もも)「m」、千(ち)「t」、万(よろず)「y」と確かに前述の四子音が頭にくるという説は確かなのですが、それがどの様に発生したか、あるいは何処から来たかについては答えていません。 近年になって、コンピュータの進歩によって比較言語学の研究が進み、数理的に適切な統計処理を行い、ある結果が得られています。その結果によれば、日本数詞はビルマ系数詞と淡い相関があるということです。 日本数詞、ひふみ式の一から十までを調べると、十個のうち三~四個の語頭の音がヒマラヤ・ビルマ語群のそれらと一致するというのです。一致するのは七から十の数詞で、微差ではあるがこれは偶然とはいえないレベルにあるとのことです。他の数多くの言語の中で朝鮮語、高麗語にさらに淡い相関があるが、それ以外の数十に及ぶ言語には全くないといいます。研究者は数詞以外にも身体語なども調べていて、結論として、弥生文化をもたらしたいわゆる江南人が、ビルマ語系の数詞や身体語を含む新らしい文化的語彙を日本語に注入したのだろう、と推察しています。 この結果から、ある仮説が構築できます。 それは旧石器時代から縄文にかけての日本祖語と、約六千年ほど前に流入したインドネシア系南方語は、すでに混然一体となっていて痕跡の分離ができないようですから、これが日本数詞の基層となります。そして、長い縄文時代にあったと思われる多彩な方言も混合、あるいは淘汰され、その後の数詞の基礎となり、これに弥生文化をもたらした江南、ビルマ系の言語が、ひふみ式に微細な影響をもたらした、と考えられます。 しかし、これは「十」以上の数詞に影響を及ぼすことにはなりませんでした。なぜかといえば、当時の日本人にとって「十」以上はまだ本格的計数の領域に入っていませんでした。その証拠は古代日本数詞、つまりひふみ式で「十」以上は余り物、という表現になっていることです。古代の数詞では「十」(とお)の次は、「とおあまりひとつ」、つまり「十」プラス「一」です。「十」以上はいつも使う数ではなかったということがわかる表現です。 そして、二~三世紀頃から漢文化が入り始めました。これは日本文化に極めて大きな影響を及ぼしました。しかし、これはひふみ式に合流することなく、それまでに醸成されてきた古代日本数詞は亡ぶことはありませんでした。それは江南、ビルマ系言語の影響を咀嚼して数百年、日本全体にゆるぎない基盤を持っていたからだといえる思われます。そして古代数詞、ひふみ式は漢字で日本語を表現した「古事記」「日本書紀」や「風土記」などに明確な形で保存されています。 古代数詞は、その後の歴史の中でその弱点を突かれて部分的には消滅の運命をたどりました。上述のように、「十」以上の数え方が、余り物を数えるという表現法であったため、生き残れなかったのです。現代の私どもは、「十一」を「とおあまりひとつ」と数えたということを知っている人は、殆どいないと思います。 とは言え、古代数詞における「十」以上の表現も一部はなお生きています。二十歳をはたちというのはその例です。しかしそれ以外は固有名詞に残った数字、例えば百瀬(ももせ)、千葉(ちば)、万(よろず)などの人名や地名にかろうじて古代の数表現が残っているに過ぎません。 |
2.古代数詞とその表現 |
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江南語を消化し、弥生、そして古墳時代を通して主に北九州から近畿にかけての地域で醸成された日本語の数詞は、漢文化の流入で大きくゆさぶられることになりましたが、「古事記」「日本書紀」という記紀の存在が古代表現の消滅をくい止め、文字に残してくれました。 そのあらましを下表に示します。古代数詞、ひふみ式の全体像です。 この表の中で、今日でも完全に残っているのは「十」までです。
この表から日本の古代数体系は極めて整然としている、ということが分ります。縄文時代に十二進法があったようですが(その確証はありませんが、あったのでないかとの推察は青森の山内丸山遺跡の遺構から読み取れるとのことです)、最終的に残ったのはしっかりした十進法でした。 日本には倭の百国どころではなく、東日本まで含めるとかなり幅のある言語、習慣を持つ人たちの雑居状態が存在したでしょうし、それだけに数表現にも幅があったことでしょう。しかし、それがどこかでいつの時代かに指導力の強い、そして賢い集団によってまとめられ、かなり純化された形をしています。英語や独語に残る十二進法の名残といったものは見受けられません。 しかし微妙な痕跡もあります。それは前出の「二十」です。「二十」は、「はた」あるいは「はたち」であり、その表現は十の倍でもなく、これが三十以上に続く表現にもつながりません。古代では、まず手の指で十本、そして足まで入れて二十本、これが数の区切りになった例が多く、二十進法もまた汎世界的でした。典型的な例は現代フランス語に残っていて、八十を「二十が四つ」と表現するそうです(小生、フランス語は文盲です)。今となればわずらわしい限りに違いありませんが、これは厳として動かせないのでしょう。日本語では二十進法は「はたち」にかすかに残るだけ、というのは幸いなことといえます。 そして、「十」にも微妙な影があります。数字としての「十」は「とお」ですが、これにはひとケタ数字の語尾につく「つ」が付きません。理由は不明です。「とお」、という表現は「十」だけで、その倍数表現には、「そ」が使われます。三十が「みそ」、四十が「よそ」です。この辺に整理し切れなかった古代の名残が見えかくれしている様に思います。 また、百の場合にも起きています。百は「もも」です。しかし、単位としての百は、「ほ」です。おそらく「もも」が古く使われ、数が多いという意味にも使われたように思われます。一方、「ほ」は計数を前提とした百でした。より近代的で進化した表現でしょう。それがいつ組み込まれたのかは分りませんが、少し想像をしてみると、次のようになります。 ある時期までは一から十まで数えれば充分でした。それ以上は余り物でした。十一が、「とおあまりひとつ」というところにこれが現れています。やがて余り物の方がはるかに多くなってきたのですが、その先もずっと、「あまり」を使っていました。 しかし、次の時期には百まで数えれば充分、という情況が生まれました。「もも」がそれになります。そして「もも」には「多くの」という意味があります。百敷の、というのは多くの石を敷き並べたという意味で大宮の枕言葉となっています。そしてその後に「ほ」の時代がきます。そして、その次には千、つまり「ち」、が登場します。これにも多いという意味がありますが計数単位にもなりました。 しかし、その頃はまだ、万(よろず)は大数の象徴であって、はじめは計数にはあまり使われなかったように思えます。そして、そうこうしているうちに、漢文化が流入したのではないでしょうか。 古代日本人が編成した「ひふみ式」が十進法であったことは、その後に流入した漢文化の数体系の理解を助けました。有史以後の日本には二度にわたる外国語の流入があります。そのひとつは、前述した漢語であり、日本人には最初の文字である漢字です。そしてもうひとつの流入は、鎖国を解いた明治期以来の欧州語、特に英語です。 しかし、このふたつは共にそれまでの流入言語と本質的に異なっています。これらは日本語の言語大系が全く異質で、たとえば日本語では主語、目的語、述語の語順であるのに、漢、英語は共に主語、述語、目的語の順となり、文法的に相入れない構造です。 にもかかわらず、漢文化流入時にあったと推察される多くの混乱を克服し、吾々祖先は古来の日本語の枠組みを保ったまま、それらの文化的要素、表現手法と語彙を日本に合うように取り入れて消化しました。 そして、このことは今日に至るまでの我が国の「数体系」に何ら不都合なことを生じさせていません。優れた選択でした。 |
ところで、上記の表では「ひふみ式」の一~九の数詞の語尾にある「つ=tu」は、意味がないと言っています。 しかし、上述の研究者の結論とは異なる説ですがあります。 それは、マレー語の丸いもの、あるいは小石を意味する「batu」の「tu」であるとのことです。これは小石を数えるときに使ったことに由来すると考えられるし、また、「十 とお=towo」は、「撓 トヲ」で両手の指を折り曲げながら10まで数えて、全ての指が曲げられた状態を表したものだとのことです。 この様なことになって来ますと、古言語学の世界です。 |
蛇足です。 |
今回はこの辺りで失礼をさせていただきます。 |
参考図書
「数」の日本史 | 伊達 宗行 | 日本経済新聞社 |
「数詞って何だろう」 「数える」ことの生い立ちを求めて |
加藤 良作 | ダイヤモンド社 |