主題;「赤の物語」
本紙・第四十三号では、「赤の女王仮説」を書きました。今回は、その仮説とは関係のない事柄で、ただ「赤」に引きづられた江戸時代の話題です。 |
イギリスの医師 E・ジェンナー(Edward Jenner 1749~1823)は、人類の恩人と称えられる人物です。 疱瘡は、日本人に限らず人類を長くかつ深く苦しめてきた疫病でした。ジェンナーは、人類の大敵であった天然痘に対し、ウシみられるよく似た病気(牛痘)の膿(ウミ)を人間に接種することによって、その予防方法として有効であること実験によって証明したのです。 この予防方法を全ての地域で実施することにより、世界保健機構(WHO)は、1980年5月8日、その第33回総会のおいて、この地球上の天然痘絶滅計画の達成を宣言しました。 ただ、その生物見本の保管・管理を当時の大国、アメリカとソ連に委ねました。その後、ソ連は崩壊し、ロシアとその他に分裂した時、その一部が暗黒の世界に流失したのではないかとの疑念があります。そして、現時点、悪の枢軸国と名指しされている国々には、これを用いた兵器(生物兵器)を開発し、所有しているのではないかとの懸念が持たれています。 話は変わります 小児医者 赤い紙燭(ししょく)で 送られる これは明和八(1771)年の川柳です。 暗い病室から出てきた医者は、紙燭(こよりに油を浸した灯火)で足もとを照らしてもらっている。その紙燭が赤く彩色されている、そして、病児はどうやら疱瘡(痘瘡、天然痘)らしい。と言うのが、この句の情景です。 この時代、皮膚に発疹が出ると、疱瘡かどうかを診断するのに、紙燭を紅(べに)を塗ったもの用いたのです。この光で透かして見ると、 「皮膚のうちむらむらとして瘡の勢見ゆるものなり。赤きは陽の色にして疱瘡の好色(すきいろ)なればかくすなり」 と言われていました。「疱瘡の話」『風俗画報』第九十・九十一号;1895年) 戦乱がなくなった江戸時代を通して、日本人の死因の第一位を占めてきたのは疱瘡と思われます。 飛騨(岐阜県)のある寺院の江戸後期の過去帳に記載されている死因の首位は疱瘡であり、その大半は乳幼児でした。十一代将軍家斉の子女五十五人の全員が疱瘡に罹患、二人が死んでいます。江戸時代の病気や医療にかかわる民間療法や民俗信仰の中で最も多いのは、疱瘡に関するものでした。 疱瘡は「お役」といわれ、幼い子供にとってそれは免れることの出来ない「客」でした。疱瘡と言う招かざる客を如何にして迎え、如何にして送り出すか。それは江戸時代のあらゆる階層の人々にとって最大の関心事だったのです。 その対処方法は、疱瘡患者の周囲すべてを赤色ずくめにすることでした。病人と看病人の衣類はもとより、寝具から調度・玩具にいたるまで、全て赤色のものを用いました。病室の入口には紅紙の幕をたらし、疱瘡棚には紅紙を敷き、御神酒徳利の口を紅紙で飾り、紅餅、紅団子、紅小豆飯、赤鯛などを供えます。 また、疱瘡棚に貼ったりするために求められた疱瘡絵は、やはり赤一色の一枚刷りで、赤絵ともいわれ、八丈島で疱瘡神を退治したという鎮西八郎為朝の図柄がよく用いられたとのことです。そして、疱瘡見舞いに持参するお菓子も玩具も全て赤色ずくめでした。 上は将軍家から下は長屋の住人「八っつさん・熊さん」まで、疱瘡と聞けば、その周りは赤ずくめでした。 しかし、これ程まで赤ずくめにしたか、です。その一つの理由が、人類の赤色に対する強い信仰心に根ざしているのではないか、との推測があります。 血や火の色に基づく赤色崇拝は、全世界的に分布しています。日本でも古くから、朱(硫化水銀)とベンガラ(酸化第二鉄)とが用いられていましたが、なかでも水銀系の朱(辰砂(しんしゃ)・丹砂(たんしゃ))は、それから得られる水銀が金をつくる材料となり、水銀系の薬物《丹薬》は不老長生き薬と言われることから、とりわけ貴重視され、赤色信仰を強めていったのです。神社の鳥居や柱などをはじめ、服飾や調度などでも、最高の呪力を持つ色として用いられていたのです。 そして、もう一つ考えられることは、色彩の中で最も刺戟の強い赤色は、神経をとおして治癒力になんらかの働きがあるのではないかとの仮説です。 赤い色は網膜を通して中枢神経に刺戟を与え、交感神経を興奮させ、脳下垂体を介して副賢皮質から抗炎症ホルモンを分泌させる可能性が考えられ、また交感神経が刺激されると、代謝や細胞が活性化されることになり、免疫能力を高めることもあり得ると考えるからです。こうした赤色の持つ生理作用が、無意識のうちに経験的に体得され、赤い色は病気、あるいは健康に良いされるようになったとも考えられます。 漱石の『坊ちゃん』に、赤シャツと渾名される教頭先生が登場します。彼が年中フランネルの赤いシャツを着ているのは、「当人の説明では赤は身体に薬になるから、衛生の為めにわざわざ誂へるんださうだ」とあります。明治のインテリにも赤色の俗信は、生きていたのです。 これが、今回の「赤の物語」です。 |
ところで、今、困ったことが起きそうだと心配されています。生物兵器を先端に着けたミサイルが、日本に向けて発射されるのではないかと言うことです。我が国はこれを撃ち落す手段、ましてこれが撃ちだされる前に攻撃する手段などを持たないのですから、どうすることも出来ません。
|
参考図書
岩波科学百科 | 岩波書店 | |
江戸 老いの文化 | 立川昭二 | 筑摩書房 |