主題;ハンザ同盟

1.ジーゲス クランツ(Sieges Krantz)
 

7~8年前新宿京王百貨店食品売り場で「ジーゲス クランツ」というケーキ屋さんを目にした。ガラスケースの中を見渡すとケーキにヨーロッパ(特にドイツ)の都市名が付けられていた。
その中に「リューベック(Ruebeck)」と名づけられたケーキがあった。名前に懐かしさを覚えケーキを購入、それ以来、機会があると「リューベック」を買っている。

その店にはハンブルグ、ブライデンバッハ、ハイデルベルグ、などの名のケーキがある。


2.リューベック(Ruebeck)
  Holstentor  旧50マルク紙幣の顔。ハンザ都市の威容を誇示する。
 

リューベックは、ハンブルグから約60km北東にあり、バルト海(Ostsee)に注ぐトラヴェ川河口から15Kmほど遡った港町である。北欧及びバルト海沿岸でとれる鰊や鱈などを保存するために必要な岩塩(内陸のリューネブルグで取れる)を輸出する港として12世紀半ばに建設された。
1188年に皇帝バルバロッサから商業、航行、漁業の特権を与えられ、1226年には皇帝フリードリッヒ2世によって帝国自由都市となった。

近隣のハンブルグ、ブレーメン、リューネブルグなどの都市と同盟を結成し、北海やバルト海での商業のみならず、軍事、政治面での共同体であった。

デンマークとスウェーデンとの海峡(Sund)の自由航行権を巡ってデンマークと戦争になった。

1370年には、シュトラールズントにて講和条約が締結され、海峡の自由航行、海峡沿岸の城塞はハンザに委ね、またデンマーク王の選出にハンザの同意が必要とのことであった。

最盛期には160もの都市が加盟していたが,15世紀には各国が国家として力をつけて来た。

また、1492年には新大陸が発見され大西洋航路が貿易の主流になっていった。1669年にリューベックで開かれたハンザ会議が最後となりハンザは終焉する。


3.トラヴェミュンデ (Travemuende)
 

 リューベックの北15Km、トラヴェ川の河口バルト海に面した保養地、且つスカンジナビア方面への船の玄関口である。
 海岸は数キロもの白い砂浜が続き、風よけのかご椅子(海水浴のパラソル)が林立しているのは壮観であった。
 1979年8月この海に足を入れた時その冷たさに痺れを感じた。

 ロシアのバルチック艦隊がこの海からはるか対馬海峡まで出かけていったことに思いを廻らせたことを思い出す。

 

参考図書

北ドイツ=海の街の物語 東京書籍
物語 ドイツの歴史 中公新書
Grosser Atlas Zur Weltgeschichte Westermann