主題;ドイツバイエルン王国について <其の 1>

1.まえがき

  11/9(土)朝 10ch にて、杉本 彩がドイツバイエルンを訪れる番組を見た。

 1500万年前に隕石が落ちた場所を城壁で囲った町 Noerdlingen、Oktoberfestでの巨大なビアホールや新市庁舎の仕掛け時計などの首都Muenchen、国王ルートビッヒⅡ世が作った Neusteinschwan城とヴァーグナーについてであった。

 バイエルンは、ドイツの南部に位置しドイツ最大の州で、その歴史は古い。
 #31にて今は無き北ドイツの雄;プロイセン王国について述べたが、今回はバイエルン王国の成立から現在までを追ってみたい。

 ここで、#30 [ヴァーグナーについて] のなかでルードヴィッヒⅡ世がバイエルン最後の国王と記述したのは間違いでした。
 訂正させてください。

2.バイエルン公国

 紀元500年前後、エルベ川上流にいたBaiwarenと称するゲルマンの部族が西南に移動ドナウ川を渡り、現在のドイツバイエルン州一体に進出した。

 紀元790年前後、このBaiwaren族がFrank王国支配の下で
Baiern公国となった。
 バイエルンの領主は幾度か代わったが、1180年に皇帝フリードリッヒⅠ世(バルバロッサ)がヴィッテルスバッハ家のオットーをバイエルン大公に任命した。

 以来、ヴィッテルスバッハ家が40代に渡ってバイエルンを支配する。選帝候領であるオーバーファルツを獲得したため、1624年皇帝選帝候になる。ヴィッテルスバッハ家の人々は代々芸術を愛し、豪華さを好んだ。

3.バイエルン王国

 1789年にフランス革命(詳細については機会があったら調べてみたい)が起きる。
 この時、ドイツは314もの大小の領邦に分立していた。それらはプロイセン王国をはじめ、皇帝選帝候国、公国、諸候領、司教領、伯領、帝国都市、修道院領、騎士修道会領などでそれぞれが主権をもっていた。

 1792年、ナポレオンはドイツに攻込み300に上る領邦は40の単位に再編成された。
 教会諸領は、マインツのみを残し全て没収、アウグスブルク、フランクフルト、ニュールンベルク、ハンブルク、ブレーメン、リューベックのみを帝国直属とし、その他はプロイセン、バイエルン、ビュッテンブルク、バーデン、ヘッセンに割り当てられた。
 現在のドイツ連邦共和国(Die Bundes republik Deutschland)で都市が州と同格なのは、Berlin, Hamburug, Bremenのみ。
 ちなみに、Hamburgは正式には自由ハンザ(同盟)都市ハンブルグ Freie Hanse・stadt Hamburg と呼ぶ。

 1805年ナポレオンは、バイエルンを王国にしマクシミリアンⅠ世が初代バイエルン国王に即位した。(1806年の記述あり [狂王ルートヴィッヒ]  中公文庫 )

 ここで歴代国王の在位期間を記す。
 ①  マクシミリアン Ⅰ世 1805~1825
 ②  ルートヴィッヒ Ⅰ世 1825~1848
 ③  マクシミリアン Ⅱ世 1848~1864
 ④  ルートヴィッヒ Ⅱ世 1864~1886
 ⑤  オットー(ルートヴィッヒⅡの弟) 1886~1912
[⑤] ルイトポルト摂政( MxⅡの弟) 1886~1912
 ⑥ ルートヴィッヒ Ⅲ世(ルイトポルトの子) 1912~1918

予告;
   ルートヴィッヒⅡ世とノイシュヴァンシュタイン城やヴァーグナーについては、<其の2> にて記述させていただきます。