主題;みちのく旅行
(平成14年10月12日~13日)
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1.白河の関跡
白河の関の松ケ根野の花に 吹く秋風に昔を偲ぶ 則夫 | ||||||
10/12(土)は三連休初日のことか、午前10時少し前東京駅東北新幹線発着#21~#22ホームは溢れんばかりの人であった。先発列・次発列の次の3列目に並び、なんとか発仙台行き列車に座席を確保した。 新白河で下車し、出迎えの車に乗り込み白河関へ向かった。 |
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卯の花をかざしに関の晴着かな 曽良 | ||||||
注:
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都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関 能因法師 |
2.米沢
手ぬぐいを湯船にぬらし友がいて 則夫 |
白河から東北自動車道を北に進み、西に安達太良山を見て福島飯坂で降りる。国道#13にて米沢を目指す。昔に比べ道幅が広くなり、
カーブも緩やかである。栗子トンネルを抜けると米沢の町が見えて来た。 鷹山は、上杉藩中興の祖と呼ばれる。日向高鍋藩秋月家から上杉家に 入り藩主となって藩財政を立て直した。 上杉謙信を始めとして藩主代々の墓所のある御廟町を通って小野川温泉のホテルに到着。 当日は大学時代の寮の同窓会が8年振りで行われた。遠くは那覇や和歌山からの参加者がいる。
夕刻から宴会・2次会と夜遅くまで飲み、食い、語り、また湯に浸かり楽しい時を過ごした。 |
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3.会津磐梯山
白布峠は標高1800Mで、近くの西吾妻山を含む山々は紅葉し、遠くに蔵王が霞んで見えた。 峠を下ると桧原湖である。木々の間から光る湖面を見ながら磐梯高原を走る。 桧原湖から猪苗代湖へ向かう峠にて見る磐梯山は、先端が尖った双子山である。 下り道路脇には停めた車が4~5百メートルに渡って並び、下からも次々と登って来る。 登山か、紅葉狩りか、きのこ狩りか判断がつかない。 山を下った磐梯町で「手打ち会津そば」の旗を見つけ店に入る。品書きに 「高遠そば」があり注文するそばたれとして、からみ大根のおろし汁とそばつゆの 二つが出てきた。店主に尋ねると通常はおろし汁につけて食べるのが作法であるが、 食べにくいと言う人のためにそばつゆも出しているとのことであった。 信州上田でからみそばを食べたことがある。からみ大根汁をそばつゆに入れていた。 会津藩初代藩主保科正之は二代将軍秀忠の庶子で、信州高遠藩保科家の養子から 藩主となっていたが三代将軍家光から出羽最上(山形)20万石へ移封、さらに 会津23万石への転封を命じられた。 正之は会津保科家(3代目から松平家)の家訓として徳川宗家の藩屏に徹することを
代々伝えよと言い残した。 会津からは磐越自動車道、東北自動車道を乗り継ぎ東京へと帰路についた。 |
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参考図書
奥の細道事典 | 講談社α文庫 |
松平容保は朝敵にあらず | 中公文庫 |
みちのく旅行 後記 |
2002.10.27 |
主幹 池端 則夫 |
会社勤め30数年での一番の役得は、技術部所属の時であった。 事務機械工業会技術委員会の分科会「新材料研究会」に入り、月1回の会合に出席して
事務機に使われる今後の新材料について勉強したことである。メンバーは、「MT」、
「RH」、「SY」、「XX」、「TK」など7~8社であった。
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