話 題;  
1. 「進化」という言葉について
2. 「江戸将軍」について
3. 「茶杓」について


1.「進化」という言葉について

 ここで、一つの進化論を見てみます。
 それは、『損得度外視進化論』という、社会科学上の一つの説です。

 社会科学では、「感情はすべて勘定による」という説があるようです。つまり、感情を含めた人間の行為は、すべて損得の勘定で説明できるということのようです。
 例えば、人助けをするのは善い人だと皆に思われ、有形無形の利益を期待する気持があるからだということです。
 ところが、この説には当てはまらない行為があります。
 道幅の狭い道路で対向車があった場合、お互いに譲り合わないと通れないことがあります。この時、阿吽の呼吸で譲り合った見ず知らずの運転者相互が、挨拶(お礼)を交わすことが多くあります。また、山登りの途中で登山者が行う行為も同様です。見ず知らずの相手に「お礼をする」ことで得をすることなど一つもないのです。
 なぜなら、対向車の人や、反対方向に歩いている登山者と再び巡り会うことなど殆どないと言って言いすぎではないことなのに、何故か多くの人がこういう行動をします。

 上記の説(感情はすべて勘定説)では、<挨拶をしたら気持がいいから>と説明します。
 しかし、なぜ、挨拶することが気持いいのかと詰めると、説明不可能です。そうすると、我々には、『損得度外視感情論』があるのではないかと.云うことになります。ある調査によれば、対向車の譲り合いで挨拶をする人は、過半数の約60%だと言うことです。では何故、人は「損得度外視」になったのか。

 ここで進化論が登場します。そうした方(挨拶をすること)がみんな仲良くなれて暮らしやすかったからで、逆に損得の勘定だけに囚われていた動物は、生き残れなかったというのです。人間はちょっとした挨拶をして、気持ち良く、暮らしやすい社会に進化させたと云うことです。
 つまり、「進化論」で説明できるということです。
 いささか論理の展開に飛躍があって、こんなところに「進化論」を持ち出すなよと言う気がしますが、生物学的な説明にだけでなく、人間の精神的な部分の説明にも進化論が適用できるとは面白いことです。

 しかし、文部科学省は、最近になって新しく使用される高等学校の検定教科書「生物Ⅰ」(最も使用頻度の高い生物の教科書)から進化に関する項目を抹消しまいました。「生物Ⅰ」では、進化という言葉を使うことすらダメと言うことです。中学校でも進化は扱わなくなるので学校教育で進化を学ばずに高校を卒業することになりそうです。
 そうなると、近い将来、上記の説が理解されない時代が到来することになります。そして、精神世界は進化しない社会が到来するかもしれません。恐ろしいことです。

 21世紀は、「バイオの時代」だと言っているのに、本当にいいのでしょうか。


2.「江戸将軍」について

 今回は、江戸将軍の記録を並べてみました。
 こんな事、知らなくても困ることは、決してありません。
将軍名 就任年齢 退任年齢 在任期間 崩御年齢 極位・極官 子供 の数




(生前の
位官)
(男:女)
初代 家 康 60
02
15 62
04
13  2
02
 2 73
04
14 従一位・
太政大臣
19
(13: 6)
秀 忠 26
01
 2 44
03
 6 18
02
 9 52
10
 9 従一位・
太政大臣
 9
( 4: 5)
家 光 19
00
 5 46
10
 7 27
10
11 46
10
 5 従一位・
左大臣
 7
( 6: 1)
家 綱 10
01
 2 38
09
 5 28
05
13 38
09
 4 正二位・
右大臣
 O
綱 吉 34
07
12 63
00
14 28
05
12 63
00
11 正二位・
右大臣
 2 
( 1: 1)
家 宣 47
00
14 50
05
10  3
05
 4 50
05
 8 正二位・
内大臣
 6
( 5: 1)
家 継  3
09
 1  6
10
 1  3
01
 3  6
10
 1 正二位・
内大臣
 O
吉 宗 31
10
10 60
10
12 29
00
14 66
08
12 正二位・
右大臣
 5 
( 4: 1)
家 重 33
10
11 48
05
 8 14
07
 7 49
06
 7 正二位・
右大臣
 2 
( 1: 1)
家 治 23
04
 6 49
03
 9 25
11
10 49
03
 6 正二位・
右大臣
 4 
( 2: 2)
十一 家 斉 15
07
 4 63
06
15 47
11
15 67
04
13 従一位・
太政大臣
55 
(23:27)
十二 家 慶 44 03 13 60
01
11 15
10
 8 60
01
10 従一位・
内大臣
26 
(13:13)
一三 家 定 29
08
 9 34
04
 4  4
08
 5 34
03
 3 正二位・
内大臣
 O
十四 家 茂 12
06
 3 20
02
 2  7
08
 6 20
02
 2 正二位・
右大臣
 0
十五 慶 喜 29
02
 8 30
02
 3  1
00
 1 76
01
15 従一位・
内大臣
21 
(10:11)
平 均 28
01
45
03
17
04
50
04
10.4
(5.9:4.5)

出典;「徳川将軍あれこれ」 東京都江戸東京博物館講師 近松 鴻二

この表を見て思うこと。
1)初代家康の執念です。

 信長、秀吉の協力者、競争者として闘争の世界を凌ぎきり、将軍職に就いたのが60歳2ヶ月。15人の将軍が平均50歳4ヶ月で崩御していますから、当時としては、健康に恵まれていたとしても、その執念に驚きます。
 ここからの教訓としては、物事には執着心が必要ということです。とう云うことで私共の周り(極小さな世界ですが)を見回すと同様に近い方々がいらっしゃいます。
 「もういいや」などというのは凡人の言うことなのです。

2)偏諱下賜(へんきかし)で「家」を受けない将軍が時代を動かした。   

 偏諱下賜とは、二代将軍秀忠は豊臣秀吉の「秀」をもらい「秀忠」、三代将軍家光は初代の「家」をもらい「家光」と名乗ることです。
 これは結果論ですが、将軍名をみますと、二代秀忠、五代綱吉、八代吉宗、十五代慶喜が、「家」を受けない将軍です。そして、これらの将軍の時代は、ご存知の通りです。

3)年寄は我儘です。

 十一代家斉は、在任期間が47年11ヶ月と最長です。そして、位階が「従一位」、官職名が「太政大臣」で、創業当時の家康、秀忠と同じです。創業時代から見れば、何もしなくってもよい時代に「従一位・太政大臣」なんて、年寄は我儘です。
しかも子供が55人。少子化が叫ばれる現在の日本、あやかりたいものです。

4)ご隠居は長命です。

十五代慶喜は、30歳で征夷大将軍の職を返還し、ご隠居さんとなりました。以後、一市民(とはいえ私共庶民のような気楽な日々ではなかったでしょうが)として76歳までをの長命を保たれました。やはり、引退すると気持ちにゆとりが出来るのでしょうか。
 ですから、この将軍様は、現在、世界一の長寿国といわれる我が国のお年寄りの様子を先取りされた方ということが出来るかも知れません。


3.「茶杓」について

 第32号で「苦労話などを書く」と書きましたが、考えれ見れば苦労などというものはなく、唯の愚痴話となります。
 茶杓の素材である竹は、自然物です。ですから、工業社会で云う品質には「ばらつき」があります。このばらつきを最適に処理して製品に繋げていくのです。ばらつきをどう処理するかという部分が愚痴話の主役になるのですが、これが中々の難物なのです。
 伝統工芸の職人さんと言われる方々は、若年の頃からその道に励み修行することによって、材料を一瞥した瞬間にその出来上がりの状態を推測できるのではないでしょうか。それでも会心の作は、材料以外の諸条件が揃わないと滅多に得られないとのことです。ですから、その道で修行された方々でも困難があるのですから、始めてから数年と言う小生が竹を見てその完成状態を想像するなどできるはずもありません。
 しかし、知識はあるものですから、こんな風のものを作りたいと想像する訳です。つまり、竹を眺めて、どんな杓や筒にしようかと考えを巡らす時は、豊穣の状態です。

 が、製作に取り掛かると意図した方向にはなかなか進まないことが多く、いらいらしながら作業をしている状況です。車寅次郎の台詞にある「・・・奮闘努力の甲斐もなく・・・」とならないようにしたいと願っているところです。

 何やら元気のでない話になってしまいました。

 口直しに一杯やりますか。勿論、よく冷やしたシュタインヘーガーですよね。