話 題; | |
1. | 「進化」という言葉について |
2. | 「江戸将軍」について |
3. | 「茶杓」について |
1.「進化」という言葉について
ここで、一つの進化論を見てみます。 |
2.「江戸将軍」について
今回は、江戸将軍の記録を並べてみました。 こんな事、知らなくても困ることは、決してありません。 |
代 | 将軍名 | 就任年齢 | 退任年齢 | 在任期間 | 崩御年齢 | 極位・極官 | 子供 の数 | ||||
歳 月 |
順 | 歳 月 |
順 | 年 月 |
順 | 歳 月 |
順 | (生前の 位官) |
(男:女) | ||
初代 | 家 康 | 60 02 |
15 | 62 04 |
13 | 2 02 |
2 | 73 04 |
14 | 従一位・ 太政大臣 |
19 (13: 6) |
二 | 秀 忠 | 26 01 |
2 | 44 03 |
6 | 18 02 |
9 | 52 10 |
9 | 従一位・ 太政大臣 |
9 ( 4: 5) |
三 | 家 光 | 19 00 |
5 | 46 10 |
7 | 27 10 |
11 | 46 10 |
5 | 従一位・ 左大臣 |
7 ( 6: 1) |
四 | 家 綱 | 10 01 |
2 | 38 09 |
5 | 28 05 |
13 | 38 09 |
4 | 正二位・ 右大臣 |
O |
五 | 綱 吉 | 34 07 |
12 | 63 00 |
14 | 28 05 |
12 | 63 00 |
11 | 正二位・ 右大臣 |
2 ( 1: 1) |
六 | 家 宣 | 47 00 |
14 | 50 05 |
10 | 3 05 |
4 | 50 05 |
8 | 正二位・ 内大臣 |
6 ( 5: 1) |
七 | 家 継 | 3 09 |
1 | 6 10 |
1 | 3 01 |
3 | 6 10 |
1 | 正二位・ 内大臣 |
O |
八 | 吉 宗 | 31 10 |
10 | 60 10 |
12 | 29 00 |
14 | 66 08 |
12 | 正二位・ 右大臣 |
5 ( 4: 1) |
九 | 家 重 | 33 10 |
11 | 48 05 |
8 | 14 07 |
7 | 49 06 |
7 | 正二位・ 右大臣 |
2 ( 1: 1) |
十 | 家 治 | 23 04 |
6 | 49 03 |
9 | 25 11 |
10 | 49 03 |
6 | 正二位・ 右大臣 |
4 ( 2: 2) |
十一 | 家 斉 | 15 07 |
4 | 63 06 |
15 | 47 11 |
15 | 67 04 |
13 | 従一位・ 太政大臣 |
55 (23:27) |
十二 | 家 慶 | 44 03 | 13 | 60 01 |
11 | 15 10 |
8 | 60 01 |
10 | 従一位・ 内大臣 |
26 (13:13) |
一三 | 家 定 | 29 08 |
9 | 34 04 |
4 | 4 08 |
5 | 34 03 |
3 | 正二位・ 内大臣 |
O |
十四 | 家 茂 | 12 06 |
3 | 20 02 |
2 | 7 08 |
6 | 20 02 |
2 | 正二位・ 右大臣 |
0 |
十五 | 慶 喜 | 29 02 |
8 | 30 02 |
3 | 1 00 |
1 | 76 01 |
15 | 従一位・ 内大臣 |
21 (10:11) |
![]() |
平 均 | 28 01 |
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45 03 |
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17 04 |
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50 04 |
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10.4 (5.9:4.5) |
出典;「徳川将軍あれこれ」 東京都江戸東京博物館講師 近松 鴻二
1)初代家康の執念です。 | |
信長、秀吉の協力者、競争者として闘争の世界を凌ぎきり、将軍職に就いたのが60歳2ヶ月。15人の将軍が平均50歳4ヶ月で崩御していますから、当時としては、健康に恵まれていたとしても、その執念に驚きます。 |
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2)偏諱下賜(へんきかし)で「家」を受けない将軍が時代を動かした。 | |
偏諱下賜とは、二代将軍秀忠は豊臣秀吉の「秀」をもらい「秀忠」、三代将軍家光は初代の「家」をもらい「家光」と名乗ることです。 |
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3)年寄は我儘です。 | |
十一代家斉は、在任期間が47年11ヶ月と最長です。そして、位階が「従一位」、官職名が「太政大臣」で、創業当時の家康、秀忠と同じです。創業時代から見れば、何もしなくってもよい時代に「従一位・太政大臣」なんて、年寄は我儘です。 |
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4)ご隠居は長命です。 | |
十五代慶喜は、30歳で征夷大将軍の職を返還し、ご隠居さんとなりました。以後、一市民(とはいえ私共庶民のような気楽な日々ではなかったでしょうが)として76歳までをの長命を保たれました。やはり、引退すると気持ちにゆとりが出来るのでしょうか。 |
3.「茶杓」について
第32号で「苦労話などを書く」と書きましたが、考えれ見れば苦労などというものはなく、唯の愚痴話となります。 |