主題;Richard Wagner (1813~1883) ついて
1871年(明治4年)、普仏に勝利したプロイセンが、バイエルン王国を含むドイツ諸領邦を統合し、プロイセン国王ウイルヘルムー世は、ドイツ帝国皇帝として即位し、ベルサイユ宮殿にてドイツ(第二)帝国建国を宣言した。この時、辣腕を振るったのが鉄血宰相とした名高いビスマルクである。
「現下の間題は言論や多数決によっては解決されない。それは鉄と血によてのみ解決される」と演説したのは、プロイセン王国時代か?
ちなみに第一帝国は、オットー一世が962年ローマで戴冠した神聖ローマ帝国、1934年 ヒットラーが国家元首になったのは第三帝国。
2.パイエルン国王ルートヴィッヒⅡ世
バイエルン王国(公国)の建国が何時なのか、未だ調べていないがこの王国の最後の国王がルートビッヒⅡ世である。
ドイツが統一向かって外交と戦争で血眼になっている時、ルートヴィッヒⅡ世は、あのノイシュパン・シュタイン城作りに熱中していた。
また、ルートヴィッヒⅡ世はワーグナーに資金援助を行った。
3.パイロイト
毎年7月から8月にかけ1ヶ月間ワーグナーの歌劇が上演されるドイツの都市。
ニュルンベルクから北へ1時間、ミュンヘンからだと3時間、東はすぐチェコ。この期間、観光客は10万人を超える。
4.リヒャルト・ヴァーグナー
*以下、あえてヴァーグナーと記述。
1864年3月、多大な借金による債務監獄収監から逃れるためヴァーグナーはウィーンからミュンヘンヘ移動。この時即位したぱかりのバイエルン国王ルートヴィッヒⅡ世の肖像画を見た。ルートヴィッヒはこの時18歳であった。
「ニーベルングの指輸」の台本序文のなかでヴァーグナーは、「指輸」四部作の作曲完成と上演を可能にする方法は諸侯の協力が必要なことと述べていた。ルートヴィッヒはこれを読み、またヴァーグナーのファンであった為翌年ヴァーグナーと会い、彼に資金援助を約束した。「指輸」を完成させること。上演費用は引受けると、1868年「マイスタージンガー」、1869年「ラインの黄金」、1870年「ワルキューレ」が初演される。これらはミュンヘンで上演されたと思われる。
ヴァーグナーはミュンヘンに自分の楽劇だけを上演する劇場を望んだが、既にミュンヘンにはオペラハウスがあったこと、またリストの娘コージマとの不倫がスキャンダルとなってミュンヘンを離れたかった。渡りに船かバイロイト市関係者の協カ(土地提供)とルートヴィッヒの資金援助を得て1872年バイロイト祝祭劇場建設開始。
5.ヴァーグナー作品 (バイロイト祝祭劇場で上演される作品)
5.1 | 「さまよえるオランダ人」 | |
5.2 | 「タンホイザーとヴァノレトブルグの歌合戦」 | |
5.3 | 「ローエングリン」 | |
5.4 | 「トリスタンとイゾルデ」 | |
5.5 | 「ニュノレンベノレグのマイスタージンガー」 | |
5.6 | 「ラインの黄金」 ・・・・・「ニーベルングの指輸」 序夜 | |
5.7 | 「ヴァルキューレ」 ・・・・「ニーベルングの指輪」 第一日 | |
5.8 | 「ジークフリート」 ・・・・・「ニーベルングの指輸」 第二日 | |
5.9 | 「神々の黄昏」 ・・・・・・・「ニーベルングの指輸」 第三日 |
参考図書
大国の興亡 | 草思杜 |
物語ドイツの歴史 | 中公新書 |
天才たちの私生活 | 文春文庫 |
ヴァーグナー家の人々 | 中公文庫 |