千利休
裏表紙には、次のようにある。
この本では以下の謎に迫っていく。
一、千利休はなぜ自死しなければならなかったのか7
二、千利休は生涯で何を求めたのか?
三、茶道における“侘び寂び”とは何か?
この扉を開けて、一緒に千利休の素顔に迫つてみよう。
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この本に掲載されている「茶杓」は、次の2本である。
82頁
三斎所持の茶杓では随一と絶賛
所蔵;永青文庫
茶杓 銘 ゆがみ 千利休作、 細川三斎所持 桃山時代 16世紀
ゴマ竹を使用。櫂先の形状などが利休形とされる。そもそも茶杓には中節がないのが普通だった
が、利休の頃から中節が出るようになった。中節の上が少し傾いており、そのゆがみがそのまま銘
になった。利休作の茶杓では、89ぺージで紹介する「泪」と並ぶ名品とされる。三斎が所持してい
たのだが、しぶしぶゆずることになり、「涙をこぼしました。ふと(はずみで)お約束してしまった
のです」と未練あふれる添え状をつけた。
89頁
死を覚悟した利休がみずから削り出した傑作 所蔵;徳川美術館
竹茶杓 泪 千利休作 桃山時代 16世紀
切腹する前の千利休が、みずから竹を削り、最期の茶会で古田織部に与えたという茶杓。織部一族
を処罰した徳川家康は織部の家財すべてを没収した。家康の死後、織部の家財は徳川御三家で分けら
れたのだが、この茶杓は尾張徳川家初代義直に伝来することになった。利休がっくった茶杓のなかで
もとくに薄づくりで、樋(とい)が深く通り、有腰(ありごし)※となっている。古田織部はこの茶
杓
用に窓を開けた筒をつくり、その窓から見えるこの茶杓に亡き師匠を重ねて位牌代わりに拝ん
でいたといわれている。
※有腰……茶杓の節の裏の反ったようなつくり
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