雅名に「杓庵」と名乗る人であるから、この本に記されている茶杓についての知識には感心させられてしまう。
だが、この本のいやらしさ、不愉快さ故に完読できなかった。その因は、次の言葉で示される部分にある。
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は じ め に
一、茶杓がたいせつにされるのは
わずか20㎝内外の竹筒、17㎝くらいの竹ベラ、何とまァ無造作で簡単な手工品だろう。これが茶人の開では三種の神器のようにありがたがられ、そうして法外といってよいほどの価格を生みだす。茶をやらぬ者には、奇怪というよりほかなく、不可解千万なもの、これが茶杓である。
この不可解な茶杓が、たいせつにされることに、茶人の精神的意味があるから一片の竹ベラとはいえバカにならぬのである。
(以下略)
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即ち、ここに「価格」という言葉があるが、この「価格」が多寡が、茶杓の価値の判断基準として、この本か書かれている。 |