「茶杓博士」の辯(べん)
序文に代へて
「茶杓博士」とは、某大茶人が私に與へた戯名であり、愛稱であります。おこがましくもそれを甘受してをります。
「茶杓博士」である以上は「茶杓学」成立たせる義務があります。
この貧しい著書は「茶杓学」を体系づける意気込で、数年間手記した茶杓に関する資料を整理し、集成したものでありますが、御覧の通り茶杓それ自体が、箸にも捧にもかゝらぬ非学問的存在なのと、私の頭の悪さから到底「茶杓学」が成立たぬことを、この著作のお陰で初めて教えられました。愛稱とはいへ、「茶杓博士」は返上です。
茶杓はむろんのこと、茶道具一切は大学で習ふ学問以外の学問です。大学教授の知らぬことを知つてゐることは、たしかに茶人の優越感です。
正直に申上げるなら、どの書物中の茶杓に関する一切の智識は二三専門の宗匠がた、一流道具屋さんからの借物です。それですから本文中に一々尊名を掲げ、敬意を表しておきました。幸か、不幸か、私には筆をもって他人の見聞を表現する力しかを与へられてゐません。
そういふ点から申して、この書物は他力によって出来上ったのです。でありますから一見貧弱な小冊子ではありますが、茶杓智識に関する集成として、茶道創始以来、これまで類のない書物だと一言することだけを許して下さい。
なほ水谷川柴山男爵が特に「宸作、御作の茶杓」の転載を許されたことを厚く御礼申上げ、「故人人名詮」は主として畏友末宗廣氏の労作「茶道全集」中の「古今茶人綜覧」に拠ったことを附記して、御挨拶に代へませう。
紀元二千六百年の六月
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