16/12/19
昭和の栄
  今年は大晦日が土曜日で、週、月、年の終わりが揃っています。毎日が日曜日の生活ですから、普段は曜日には捕らわれていないのですが、何やら損をする感じがしています。そして、年末の慌ただしさに気が付く先週でした。
 図録は「昭和の栄(サカエ)」と名付けられている山茶花(サザンカ)です。「ツバキ科カンツバキ系の園芸品種。花は桃色で時に斑がはいるものがある」と案内板にありました。11月の中旬ころから少しずつ咲き出していましたが、今が満開の様です。亀戸中央公園で撮りました。

 ところで、今回は“川内原発再稼働”のお噂です。定期検査で停止していた九州電力(九電)の鹿児島県/川内原発1号機が8日、運転を再開しました。
 このまま運転を続け、年明けには営業運転に戻るとのことです。全国紙Yは、13日の社説で「原発正常化へ実績を重ねたい。 /将来にわたり原子力発電を活用するためには、安全運転の実績を積み重ねて、信頼を取り戻すことが肝要である。」と持論を展開しています。 この原発1号機は昨年8月、東京電力福島第1原発(福一)の事故後の新規制基準に適合した原発として、全国で初めて再稼働したものでした。しかし、7月の県知事選で三反園さんは、川内原発の一時停止を公約に掲げ、再稼働に同意した現職を破ったのでした。その三反園さんが 九電に即時停止を要請したものの、受け入れられず、次第に原発問題に言及する機会は減り、地域の活性化を強調して、今回の運転再開については、「私に稼働させるか否かの権限はない」と述べて、その運転再開を容認したのです。
 確かに県知事さんには原発運転の法的権限はありません。しかし、原発運転の可否には地元住民の賛成が必要なのです。その地元代表である知事さんはある意味の決定権保有者です。それを反容認から容認側に舵を切る、選挙公約の無視、辛いことです。そうせざるを得ない事情を勘ぐれば、“ひもじさには勝てない”なのでしょうか。東京以外の道府県では、地方交付金と呼ばれる、国からの財政補助がないと立ち行かない状況と言われます。その交付金の財布を握っているのは原子力村の親分の霞が関ですから、そう簡単には盾を突けないのでしょう。
また、原発立地域はその経済にも大きく影響を与えています。心配はあるけどみんなが安全、大丈夫というのだから、“まあ、良いか”なのでしょうか。
 しかしです。知事には原発事故が起こった時、最前線で住民を守る責任があるのです。原発稼働の可否について、民意を踏まえた知事が判断が反映できる仕組みが必要と考えられます。 そして、福一事故を起こしても、政府は日本のエネルギー安全保障に原発は必須だとして、原子力規制委員会が福一事故発生以後に新たな規制基準を策定し、事業者の安全対策がその基準に適合しているかどうかを審査する、という方法に変えました。と言って、新たな規制基準をクリアしても、事故のリスクはわずかながらでも残るものだが、現在の原発稼働の立ち位置なのです。これを裏付けるのが、規制委員長の「基準をクリアしても安全とはいえない」という言葉なのです。つまり、この基準によって福一事故発生時に多用された“想定外”は消去されるはずだが、事故は“零(ゼロ)”にならないことは判っている、というのです。事故事象が発生する確率とその事象が生じた際の汚染などの影響を、総体として最小化する筈だという考え方なのです。そして、原発稼働賛成派の姿勢は“それで良いのだ”です。
 先週の14日、福一事故の処理費用が21.5兆円以上、もしくはそれ以上になると経産省お抱えの有識者の先生方は言っています。そして、事故責任の東電を助けるために、その一部を国民が持てとも言い出しています。事故の後始末を国民に押し付けよう、など国や東電も零落したものです。この先、原状回復するまで50年以上を要する新たな事故発生の原因を作って欲しくない、が多くの国民の願いだと思うのです。その民意に耳を貸さずゴリ押しする、何とも奇妙な感じがします。今日の杜甫甫です。
平成27(2016)年12月12日(月):撮影