16/05/09
斜陽館と津軽三味線
   連休になった途端、一気に夏の猛暑・酷暑を予感させてくれるような陽気です。5日のこどもの日は、二十四節気の“立夏(夏立つ日、この日から夏)”でしたから、暦通りなのですが、例年に比すとちょっと早いように思います。これもまた、温暖化の故なのでしょうか。 
 図録は、先月末の旅行で訪れた太宰治の生家を記念館にした入口のものです。この作家については、名前のみを知っているだけの知識しかありません。ですから、旅行中のバスの中でその日の日程で、金木の“斜陽館”に行くと聞かされた時も、これが何なのか判りませんでした。そして、この館に入って案内人の解説を聞いて“そうなんだ‼‼”でした。
 案内人の解説によれば、この館の建築費は現在の貨幣価値に換算すると4~7億円とのこと、その数字を納得させる建物でした。だた、暖房設備が殆どないようで(気付かなかったのかもしれませんが)、食堂に使っていたという板の間の大きな囲炉裏のみ、
これで使用人も含めた家族が、厳冬に身体を温められたとは思われませんでした。ヒートテックやホッカイロなどを身にまとっても、寒いを口にする老生には、とても耐えられないに違いないと思いました。案内人も“今度は冬にここに来てください。そうすれば太宰の心境を判りあえることが出きるかもしれません”と云ってました。
 ウラは、この記念館の前の通りを隔てたところにある“津軽三味線”記念館でのものです。右側が先生で二人はそのお弟子さんとのことです。専門家の演奏を聴く(見る)のは初めてでした。重くって歯切れの良い音ですが、その良し悪しは判りません。ですから、聞くものとしての目は若い人に行きがちでした。

 ところで、全国的にお休みですから各地の行楽地は賑わっていたようで、新幹線や高速道路も混雑とのことでした。そんな世情にもかかわらず、お噂を申し上げるような話題は目にも耳にも入らず、困りました。
 そこで、「昔と今」について少々申し上げます。
 『民俗学者の柳田国男が「昔」と言うときの「昔」は、江戸時代より前の時代を指している。いい換えれば、柳田にとって「今」は、江戸時代に及んでいる。』、とものの本にありました。
柳田国男(この方も東北・岩手の出身でした)の作品に触れたことがないので、孫引きです。
 そこで老生にとっての「今」はどうなんだろう、です。生活感覚からすれば、せいぜい親の生きた時代までが、その範囲でそれ以前は「昔」ということになります。具体的には、父は明治45(1912)年、母は大正8(1919)年の生まれでした。ですから、大正の中頃までが「今」でそれ以前の明治時代は「昔」となります。上記の太宰の生年を調べると、明治42(1909)年ですから、親とは同時代の範囲なのですが、老生にとっては、「昔」に入っていた様です。
 話は飛んで、現代の若者・大学生や高校生にとっての「今」はどの時代だろう、です。これも様々でしょうか、恐らく遡っても高度成長期までで、サザエさん一家が卓袱台を囲んでの食事風景は、今昔の境目ではないかと推察します。すると、敗戦の日以降の我が国の諸制度が激変した時代は、「昔」の範疇になってしまうのです。こうなると、老生の前半の20年は、「昔」に属していることになってしまいます。
 昨年の安保制度改革の際には憲法のあり方が膾炙されましたが、今の若者にとっての現憲法は、老生にとっての明治憲法と同じ位置づけになるのです。憲法改正の議論されようとしています。その中には歴史的経過を考えることも必要なのか、と考えます。
平成27(2016)年1月1日(金):撮影