16/04/18
海棠
   先週末の金曜日は春らしい陽気でしたが、4月に入ってからは何やら天候不順の様子です。などと思っていたら、14日夜、熊本地震が起こりました。“前震”という言葉を初めて聞く規模の大きい地震です。発生以降、今日でも余震が続いていて、被災された方々に十分な支援物資が届けられていないとのことです。復旧作業は先ず、生活物資の供給を願っています。
 図録は染井吉野が満開から散り始める頃に、紅色の花を咲かせる海棠です。同じ紅色の花ですが、楚々とした様子は桜との違いを感じます。

 ところで、今回は川内原発運転差し止め棄却決定のお噂です。この決定は今月6日に出されました。
 全国紙Yの7日付の朝刊で、『国内で唯一、稼働している九州電力川内原子力発電所1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)について、脱原発派の住民12人が運転差し止めを求めた仮処分の即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部は6日、脱原発派の抗告を棄却した。西川知一郎裁判長は、原子力規制委員会が原発の耐震性の強化を求めた新規制基準と安全審査を「不合理とはいえない」と判断し、運転停止の必要はないと結論付けた。』と報道していました。 今年3月に関西電力高浜原発3、4号機(福井県)の運転差し止めを命じた大津地裁の仮処分決定と、逆の結果になっています。裁判官によって決定が異なる、司法の世界でも原発の是非については統一の見解がないのだ、を確認させてくれました。そして、今回の決定では、「ゼロリスク」の社会通念に対する考え方が大きな要素を占めていると感じました。
 裁判官は決定で、『 どのような事象が生じても、原子炉施設から放射性物質が周辺の環境に放出されることのない安全性を確保することは、少なくとも現在の科学技術水準をもってしては不可能であるから、どの程度の危険性であれば容認するかという観点、すなわち社会通念を基準として判断するほかはない。 /福島第一原発事故後に改正された原子炉等規制法は、最新の科学的、技術的知見を踏まえて、合理的に予測される規模の自然災害を想定した原子炉施設の安全性の確保を求めるものと解される。 /このような立法政策がとられたことにもかんがみると、災害がいかに重大かつ深刻なものであるとしても、最新の知見を踏まえた合理的な予測を超えた水準で安全性の確保を求めることが、社会通念になっているとはいえない。』、と言っています。
 つまり、“合理的な予測を超えた水準”で事故が発生すれば、それは“想定外”のこととして処理しよう、と言っているのです。
そして、改正された原子炉等規制法に適合していれば、十分でそれ以上を求めることは、無駄なことだ、とも言っているのです。“それ故、この原発運転を取りやめる理由はない”、なのです。
 ここに、「ゼロリスクの社会通念」を持ち出して、その妥当性を説明するか、には疑問があります。しかし、現代社会は「ゼロリスク」を求めないことで成立していることも事実です。  しかしです。福一事故以前の事例としてチェルノブイリの事故は知っていましたが、その災害が及ぶ範囲を実感として認識していませんでした。安全神話をまともに認めていたことに起因していたのです。ところが、福一事故の災害の現実は、多くの人々やある国では、「ゼロリスクの社会通念」で原発を取扱って良いのか、との認識が生まれたのです。福一事故の被害を被った地域や人々の現状からすれば原発事故は、一般の事故とは異なる・違うを認識させてくれました。原発事故が“ゼロ”に出来ないのであれば、原発事故を無くすには、原発をやめること、つまり、原発反対になっているのではないかと考えます。 原発推進派の全国紙Yは、7日付の社説で、『専門的知見を尊重した判断だ /ゼロリスクに固執せずに、一定の危険性を想定して対処する。 /原子力発電所の安全対策の要諦を的確に押さえた決定である。 /九州電力川内原発1、2号機の運転差し止めを求めた仮処分の即時抗告審で、福岡高裁宮崎支部が脱原発派の住民の抗告を棄却した。国内で稼働中の原発がゼロとなる事態は避けられた。』と語り、『(原発が止まると)国のエネルギー政策は混乱する。電力会社の経営を圧迫し、電気料金の高騰を招きかねない。』とも言ってます。Y紙(原子力村の代弁者)は、今回の福岡高裁宮崎支部の決定に“ヤレヤレ”なのでしょうね。
 ですが、熊本地震では川内原発1、2号機には影響を与えませんでした。しかし、今回、不幸にも事故が起こったとしても、“この地震は予測できなかったので、被害を被るのは仕方がない”、なのでしょうね。裁判官の感想が聞きたいものです。
平成27(2016)年4月15日(金):撮影